リンゴの知的財産権を守る「クラブ制」は日本でも根付くか 〜世界のリンゴ事情


生産量世界一になった、日本の最強品種「ふじ」

今、日本で栽培されているリンゴの約半分を占めているのが「ふじ」。私はその原木に会ったことがある。

それは岩手県盛岡市にある農研機構果樹研究所りんご研究拠点の圃場に、どっしりと佇んでいた。かなりの老木だが、今も結実しているそうだ。この1本の木から何本も苗木が生まれ、系統が分かれ、それぞれの産地で栽培が続いている。

ふじの原木。世界中に広まったウルトラ品種の歴史は、この一本の木から始まった

研究所のプレートによれば、ふじは1939年、青森県藤崎町にあった農林省園芸試験場東北支場で「国光」と「デリシャス」を交雑させ、1951年に初結実。1958年に「東北7号」として公表。1962年に「ふじ」と命名され、1961年に試験場の移転に伴い現在の場所に移された。

「ふじ」は、その後中国やアメリカでも広く栽培されるようになり、21世紀初頭には「生産量世界一」の品種となっている。クラブ制もなかった時代、ふじはなぜ、海外に持ち出されたのだろう?

リンゴは枝先の「穂」を切り取り、他のリンゴの木に継げば、そのクローンを増殖できる。当時は品種に関して「知的財産」という概念が薄かったため、日本のリンゴ園を訪れた外国の研究者や生産者が「こりゃ、すばらしい」とふじの穂を手に入れ、そのまま自国へ持ち帰り、自園のリンゴに接ぎ木する……そんな形で世界中に広まったと考えられている。

Pink LadyやJAZZ APPLEなどのクラブ制リンゴが、栽培や苗木増殖について厳しい規制や罰則を設けているのは、知的財産としての品種を守るためだ。

たとえば、ヨーロッパを起点にアメリカ、南アフリカ等で栽培されている「KIKU」というリンゴは、日本のふじの枝変わり。現在はクラブ制で広まっている。

「『ふじ』がもし、21世紀に品種登録された品種なら、世界最強のクラブ制リンゴになれたはず」

リンゴ関係者の間でそんな声は少なくないが、もう後戻りできない。
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  1. 田牧一郎
    田牧一郎
    日本で15年間コメ作りに従事した後、アメリカに移り、精米事業、自分の名前をブランド化したコメを世界に販売。事業売却後、アメリカのコメ農家となる。同時に、種子会社・精米会社・流通業者に、生産・精米技術コンサルティングとして関わり、企業などの依頼で世界12カ国の良質米生産可能産地を訪問調査。現在は、「田牧ファームスジャパン」を設立し、直接播種やIoTを用いた稲作の実践や研究・開発を行っている。
  2. 福田浩一
    福田浩一
    東京農業大学農学部卒。博士(農業経済学)。大学卒業後、全国農業改良普及支援協会に在籍し、普及情報ネットワークの設計・運営、月刊誌「技術と普及」の編集などを担当(元情報部長)。2011年に株式会社日本農業サポート研究所を創業し、海外のICT利用の実証試験や農産物輸出などに関わった。主にスマート農業の実証試験やコンサルなどに携わっている。 HP:http://www.ijas.co.jp/
  3. 石坂晃
    石坂晃
    1970年生まれ。千葉大学園芸学部卒業後、九州某県の農業職公務員として野菜に関する普及指導活動や果樹に関する品種開発に従事する一方で、韓国語を独学で習得する(韓国語能力試験6級取得)。2023年に独立し、日本進出を志向する韓国企業・団体のコンサル等を行う一方、自身も韓国農業資材を輸入するビジネスを準備中。HP:https://sinkankokunogyo.blog/
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    川島礼二郎
    1973年神奈川県生まれ。筑波大学第二学群農林学類卒業。フリーラインスの編集ライターとして、テクノロジーをキーワードに、農業雑誌・自動車雑誌などで執筆・編集活動中。
  5. 堀口泰子
    堀口泰子
    栄養士、食アスリートシニアインストラクター、健康・食育シニアマスター。フィットネスクラブ専属栄養士を経て独立。アスリートの食事指導や栄養サポートの他、離乳食から介護予防まで食を通じて様々な食育活動を行う。料理家としても活動し、レシピ提案、商品開発も担う。食事は楽しく、気負わず継続できる食生活を伝えることを信条とする。スポーツの現場ではジュニアの育成、競技に向き合うための心と体の成長に注力している。HP:https://eiyoushiyakko.jimdofree.com/
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