種子法を廃止しても民間育種が難しい本当の理由 〜農研機構・北海道農業研究センター 八田浩一氏に聞く(後編)

2018年に廃止され、いまもその是非について議論が尽きない主要農産物種子法(以下、種子法)。

直前に農林水産省に出向し、廃止に向けた話し合いの端緒に立ちあっていた育種の研究者がいる。農研機構・北海道農業研究センター畑作物開発利用研究領域の小麦育種グループ長の八田浩一氏だ。

八田氏へのインタビューの後編となる今回は、廃止の目的である民間育種を促進する方策について聞いた。



現状のままでは民間育種は進まない

――種子法が廃止されたいま、目的通りに麦類の民間事業者による育種は進むと思いますか。

八田:私は難しいと思います。費用対効果が合わないからです。

まず、育種は多額の研究費を要します。それなりの技術者を一人雇用するのに社会保険料などを含め、老若問わず平均してざっと年間1000万円とします。私がいる小麦育種グループは3人なので計3000万円。ほかに研究費として年間2000万円程度を要するので、合わせれば年間5000万円になるわけです。

もちろん、一つの品種を開発するのに1年では終わらず、10年前後はかかります。おそらく、生産者の方々も政府や地方自治体がこれだけの投資をしているとはご存じないかも知れません。

これだけの初期投資が必要になる中、果たして民間が穀物の育種ビジネスに参入してくるでしょうか。しかも日本は欧米と比べると、穀物の種子の販売価格はとても安く抑えられています。

これまで、種苗生産に補助があり、種子圃場の管理には、少なからず、地方自治体の職員が関与しています。(民間事業者が育種を行えば)これらの税金でまかなわれている部分が、すべて経費として種子代に反映されることになります。民間事業者が投資に見合った種子価格を設定した場合、どれほどの生産者があえて高い種子を買ってくれるでしょうか。

欧米の種苗会社に聞くと、一つの品種を普及して利潤を生むには10万ha以上が必要だそうです。もし本当にそれだけの面積が必要であるなら、稲以外はとても(それだけの面積がないので)無理ということです。


品種が更新されない弊害

――新たな品種が出てこないと、どんな弊害があるのでしょう。

八田:先ほど述べたように、農家が経営規模の拡大に合わせて早生から晩生までそろえられないことが一つです。

いまは農業機械を大型化することで短期間に収穫を済ませることで対応していますが、大きな機械が畑に及ぼす影響も心配です。また、そもそも本州のインフラでは大規模化にも限りがあるので、これは無理。

弊害はもう一つ、古い品種が環境の変化に適応できなくなってしまうことがあります。

例えば、九州の小麦の生産量は統計を見ているとずっと落ちていますが、1993年(平成5年)から品種の更新が一切なされていないことも要因の一つと考えられています。各県の公設の農業試験場が財政的にも人員的にも逼迫していて、新しい品種に切り替える余力がない。

先ほど、種子代金の話題で触れましたが、農業試験場の研究員や農業改良普及員は原種の管理や増殖のために採種圃を頻繁に観察して回ります。外から花粉の飛び込みや突然変異による異型がよく出るので、抜き取らなくてはいけないんですね。

ほとんど表には出ない地道な仕事ですが、これが無茶苦茶大変なのです。管理するのは1品種だけでも厳しいのに、品種の切り替えのために2品種に増やすことは、いまの人員体制ではとてもできません。

それでも遠慮なく気候は変動します。暑くなってきて、環境が不利になっていく中、品種の能力は変わらないわけですから、生産量が減っていくのは当然と言えます。

実際に九州では小麦が3月に出穂するなんていう異変も起きていますし、北海道でいうエゾ梅雨と梅雨の区別は、道外出身の私には区別が付きません。気候変動に対応した品種の開発はやはり必要なんです。


受益者負担の北海道型研究開発モデル

――とはいえ、稲以外では民間事業者の参入が望めない中、今後の育種はどうあるべきでしょうか。

八田:先に言いましたように、稲以外の穀物である麦や大豆などについては、民間事業者が参入しても儲かる仕組みになっていません。だったらその穀物のサプライチェーンに関わる受益者がそろって負担する仕組みをつくったらいいのではないかと考えています。

モデルになるのは北海道のJAグループが運用している小麦の生産や流通、販売に関する「拠出金制度」です。事業の目的は良質な麦の生産体制やその安定的な供給と販売、円滑な流通体制の整備の実現など。これらの実現に向けた財源を確保するため、JA系統だけではなく系統以外の商系の集荷業者や農家から出荷した量に応じて一定額を拠出してもらっています。

この制度の特徴は拠出金の財源をエンドポイント、つまり出荷や直売した額に置いていること。考え方の根底にあるのは「収穫(収入)が上がったのは、この品種を導入して栽培したからなので、その収益の一部を次の品種開発や種苗生産に還元してもらえませんか」ということ。

多々異論はあるでしょう。ただ、種子代金に乗せる場合だと、収量や品質の成績の良し悪しに関わらず、品種改良にかかった経費が持って行かれてしまう。それよりはまだ受け入れやすい考え方ではないかと思います。

今は、品種開発のみですが、種苗生産にもこうした資金を供給できると良いのではと考えています。また、実需者が欲しいと思う新品種は少し高めに買い取っていただくなど、工夫できることがあるように思います。

――拠出金の使途はどうなっていますか。

八田:金額ベースでみると、生産流通対策が2割で、残り8割は試験研究です。この8割の一部は品種改良にも利用されています。

北海道のJAグループが実施している小麦生産者拠出の流れ(出典:八田浩一氏)

現在進行中の試験研究は、半数体育種法による高タンパク質で秋まきの主にパン用と中華麺用の小麦、それからパン用の春まき小麦の品種開発などがあります。前者に関しては我々の研究グループが年間500万円をいただいて取り組んでいます。

――北海道の拠出金制度で開発された品種の権利や許諾はどうなっていますか。

八田:基本的に共同研究で開発した品種の育成者権は文字通り育成者で持ち合い、許諾料は育成への貢献度に応じて配分するようになっています。基本的に道外に普及することはしません。

育種の将来を考えると、ほかの自治体でもこうした拠出金制度を用意すべきではないでしょうか。都府県では実際にそうした動きがあるという噂も聞いており、どうなるか関心を持っています。


※ ※ ※

筆者個人は、都道府県の稲に関する品種改良のここ最近の動向を見る限り、いまだに良食味ばかりを追求するという需要を無視したような品種ばかりがそろい、種子法の廃止はやむなしという印象を受けていた。ただ、廃止後に都道府県が新たな育種体制をどう構築するのかということは不明瞭だったように感じる。

八田氏の提言はそこに一つの光を差し込むものである。

北海道の小麦の品種開発モデルに同調する動きが都府県で出ているという噂があるということで、それが事実であれば今後紹介できればと考えている。


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  1. 田牧一郎
    田牧一郎
    日本で15年間コメ作りに従事した後、アメリカに移り、精米事業、自分の名前をブランド化したコメを世界に販売。事業売却後、アメリカのコメ農家となる。同時に、種子会社・精米会社・流通業者に、生産・精米技術コンサルティングとして関わり、企業などの依頼で世界12カ国の良質米生産可能産地を訪問調査。現在は、「田牧ファームスジャパン」を設立し、直接播種やIoTを用いた稲作の実践や研究・開発を行っている。
  2. 福田浩一
    福田浩一
    東京農業大学農学部卒。博士(農業経済学)。大学卒業後、全国農業改良普及支援協会に在籍し、普及情報ネットワークの設計・運営、月刊誌「技術と普及」の編集などを担当(元情報部長)。2011年に株式会社日本農業サポート研究所を創業し、海外のICT利用の実証試験や農産物輸出などに関わった。主にスマート農業の実証試験やコンサルなどに携わっている。 HP:http://www.ijas.co.jp/
  3. 石坂晃
    石坂晃
    1970年生まれ。千葉大学園芸学部卒業後、九州某県の農業職公務員として野菜に関する普及指導活動や果樹に関する品種開発に従事する一方で、韓国語を独学で習得する(韓国語能力試験6級取得)。2023年に独立し、日本進出を志向する韓国企業・団体のコンサル等を行う一方、自身も韓国農業資材を輸入するビジネスを準備中。HP:https://sinkankokunogyo.blog/
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    川島礼二郎
    1973年神奈川県生まれ。筑波大学第二学群農林学類卒業。フリーラインスの編集ライターとして、テクノロジーをキーワードに、農業雑誌・自動車雑誌などで執筆・編集活動中。
  5. 堀口泰子
    堀口泰子
    栄養士、食アスリートシニアインストラクター、健康・食育シニアマスター。フィットネスクラブ専属栄養士を経て独立。アスリートの食事指導や栄養サポートの他、離乳食から介護予防まで食を通じて様々な食育活動を行う。料理家としても活動し、レシピ提案、商品開発も担う。食事は楽しく、気負わず継続できる食生活を伝えることを信条とする。スポーツの現場ではジュニアの育成、競技に向き合うための心と体の成長に注力している。HP:https://eiyoushiyakko.jimdofree.com/
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