日本生まれのいちご品種「レッドパール」の韓国への流出はなぜ起きたのか
前回の記事では、韓国の果樹・野菜・米では昔の日本品種が現在でも盛んに栽培されており、多くの韓国人はそのことが当たり前だと考えている現状を説明してきました。
韓国では、野菜の種子は日本と同様にF1品種を種苗会社から買っているため、農家個人が品種を維持するのは難しい状況です。また、米の種もみの生産・流通は韓国政府の強い統制下にあるため、不正な方法で入手した品種が広がるといったことは起こっていません。
しかし、自家増殖ができるいちごに関しては、農家自らが品種を維持することができ、米に比べて政府の統制も弱いため、流出した品種の栽培が拡大してしまう場合もあります。
以上のような現状を背景として、物議を呼んだ日本発祥のいちご品種「レッドパール」の品種流出事案を例に、日本と韓国の品種管理のあり方について考えていきたいと思います。
いちご育苗の様子(慶尚南道密陽市、2018年7月、筆者撮影)
まず、いちご品種流出問題に関する日本側からの一般的認識は、以下のように4つに整理できます。
しかし、日本側の公的資料に加え、韓国側の公的資料や新聞記事をもとに事案を再構成すると、意外な事実が見えてきました。日本で一般に流布されている認識とは異なる点を整理していきます。
「レッドパール」の日韓でのやりとりの経緯(筆者作成)
![](/images/thumbnail/width/800/images/upload/2024/04/3e9175cdca53d0ac2d4f703d36e96d90.png)
出典:
※1 農林水産省品種登録データベース
※2 農林水産省「国内育成品種の海外への流出状況について」
※3 忠清南道農業技術院いちご研究所「いちご研究所育成品種目録」
※4 農林水産省「UPOV条約について」
※5 「韓国農漁民新聞」2000.08.05付
※6 List of UPOV Members
※7 「ソウル新聞」2004.05.26付
※8 国立種子院データベース「レッドパール」
※9 国立種子院データベース「ソルヒャン」
※10 「ハンギョレ」2006.09.25付
※11 「ウリ文化新聞」2022.01.04付
※12 農林水産省「国内育成品種の海外への流出状況について」
※13 「デイリー新潮」2018.03.03付
※14 「韓国経済」2023.03.19付
![](/images/thumbnail/width/800/images/upload/2024/01/8d8e356767ccefe1110218ef226bb888.jpg)
まず、金重吉氏は、2000年の「韓国農漁民新聞」の記事の中で、「今年で農業を始めて38年になる67歳のいちご農家」と紹介されています。また、それを裏付ける資料として、彼が住んでいた慶尚南道晋州市の郷土史を記録する「晋州郷堂」というサイトに以下の記述があります。
さらに、金氏を紹介した記事の中で、「電照栽培やウォーターカーテン暖房を最初に導入したのは私であり、それを地域のいちご農家にも勧めた」(出典:「韓国農漁民新聞」2000.08.05付)、「それまで栽培していた『宝交早生』は韓国の土には合わず多収穫を望めないし、日持ちも悪いので、『レッドパール』の許諾を求めた」(出典:「聯合ニュース」2023.03.19付)とされています。
これらのことから、なぜそれほど熱心だったのかが理解しにくい部分はあるものの、金氏はリーダー農家としていちご産地に有効な技術を提供する一環として、「レッドパール」の許諾を受けるべきと考えていた、と思われます。
「デイリー新潮」の記事で、西田朝美氏の友人であるいちご農家の方が以下のように話しています。
ここで、「各地」という表現をしていることから、個別使用に限定する契約をしていたにもかかわらず、金氏以外にも「レッドパール」栽培農家がいたことは西田氏も知っていたと考えられます。
種苗保護を管轄する韓国国立種子院ウェブサイトによると、「レッドパール」は「品種名称登録出願(出願公告番号:名称2006-677)」となっており、「出願日:1999年8月31日、出願公告:2006年5月15日、出願人:金重吉」と、約7年かかったことが記録されています。
私が調べた限りでは、出願から公告掲載まで7年を要した品種などは類例がありません。ですので、韓国国立種子院が異例の対応を行ったことがうかがえます。
出願者が登録した種苗を、業として生産・販売する確認を受けたことを示す「生産・販売届出現況」欄には、まだ出願中であった2002年に実に21名もの届出があり、個人名や企業名も記載されています。出願しただけで公告されていない種苗に対し、21名の届出があるというのは普通は考えられないことです。
さらに、2005年に金氏の農場を訪問した個人のブログによると、「『レッドパール』の栽培試験をしていたところ、どういうわけか誰かが先に出願したようだ」と金氏本人が語っていたと言います(出典:Think Globally ,Act Locally)。
これらのことから、
という処理が韓国内でなされていたことがわかります。
確かに金氏の種苗管理がずさんだったことも否定はできません。しかし、一般に言われる「金氏が無分別に種苗を譲渡した」とは言えないとも考えられます。
いちご日韓ロイヤルティー紛争最盛期の2006年には、韓国側で以下のような報道がありました。
この記事だけを読むと、日本が韓国に無理な要求をしているように思えます。
しかし、農業専門紙である「園芸産業新聞」の記事(出典:「園芸産業新聞」2006.11.27付)を読むと、日本側の背景もきちんと理解することができます。
10a当たり約5000円という専用実施権の妥当性について、手元にあるいちご栽培に関する農業技術書『농업기술길잡이 딸기(農業技術道しるべ いちご)』を参照すると、2008年時点でのいちご10a当たりの経営指標として「粗収益:1379万ウォン(1円=10ウォン換算で137万9000円)、所得748万ウォン(74万8000円)」となっています。日本が要求したというロイヤルティー経費(10aあたり5000円)が占める割合は、所得ベースでも0.6%程度にしかなりません。
「過度なロイヤルティー」という言葉は、農家サイドから見ても事実とは反すると考えられます。しかし、1万名以上いる韓国全土のいちご農家にロイヤルティーを賦課するよい方法がなかったため、韓国側が日本側の要求を断った、ということは十分にありそうです。
むしろ、交渉決裂の主な原因は、日本への事実上の輸出禁止が大きいと思います。なぜなら、促成栽培のいちごの出荷時期を考えると、12月~4月までの期間に日本への配慮によって輸出ができなければ、事実上輸出を禁止されたということと同じことだからです。
いちごの花(出典:京畿道ニュースポータル<경기도 뉴스 포털>
以上が、私が調べたいちご「レッドパール」における日韓ロイヤリティー紛争の顛末です。
個人的な感想ですが、農家側(金氏や西田氏)の「他のいちご農家にもいい技術を提供したい」という当初の思いとは異なる形で、事態がこじれたことがうかがえます。そして、こじれた過程には、日韓政府の面子も影響したと考えます。
ここで思うのは、事態がこじれる前に、誰かに相談できなかったのかということです。
何度も訪韓していた西田氏であれば、韓国のいちご産地で「レッドパール」が広がっていたことはどこかの段階かでわかったでしょう。その時点で疑問を持ち、どこかに相談ができなかったことが悔やまれます。
金氏にしても、自らが実施権を得た「レッドパール」に対し、他者が韓国の種苗当局に申請したことがわかった時点で、強く抗議するべきだったとも思います。
2人がそれをためらったのは、韓国がUPOV条約に加入していない時代であったこと、日本も加入して間もない状況であったこともあり、知識も乏しく、誰もわかってくれないという諦念もあったのかもしれません。
いちご「ソルヒャン」の果実(出典:京畿道ニュースポータル<경기도 뉴스 포털>)
ただし、この日韓いちご品種のロイヤルティー紛争は、個人同士の流出以外の部分で後日談があります。
それは、金氏が西田氏から許諾を受けた1998年に、忠清南道農業技術院・いちご研究所が「レッドパール」を用いていちご新品種を育成するための交配を行っているという事実です。
同研究所が「レッドパール」をどのように入手したか、その経路は不明ですが、「レッドパール」と「章姫」(あきひめ)を交配させて得られた個体(実生)の中から、「大果でありながら多収性、うどんこ病や炭疽病にも強い、奇形果の発生が少なく高温期にも色が濃くなりにくい」という特性を持つ新品種「ソルヒャン(설향、雪香)」が選抜され、2006年に韓国で品種登録が行われています。
「ソルヒャン」は、まだ品種登録を行っていない2005年から現地での普及が始まり、2009年時点では韓国のいちごの50%、2013年以降現在までの間に90%以上を占める品種になっています。
2018年の平昌オリンピックにおいて、日本のカーリング選手団が試合の途中でいちごを食べているシーンが報道され、それを契機に日韓のいちご品種紛争が再燃したことを覚えていらっしゃる方も多いと思います。この時のいちご品種が「ソルヒャン」です。
では、「『レッドパール』を親として、勝手に新品種『ソルヒャン』を育成した」ことは問題なかったのか。当然違法のように思えますが、ここでもUPOV条約などの時代の間の問題がありました。
日本の種苗法第21条には、「育成者権の効力は、次に掲げる行為には、及ばない。一 新品種の育成その他の試験又は研究のためにする品種の利用(以下略)」と明記されています(出典:e-gov法令検索 平成十年法律第八十三号 種苗法)。
すなわち、育成者権が拡充された現行法令ですら、品種育成者は第三者が品種改良用に使用することに法的に対抗できないのです。
次に、「植物の新品種の保護に関する国際協約(UPOV条約)」第15条を見てみると、育成者権の義務的例外を定めた行為として「(ⅱ) 試験目的で行われる行為 、(ⅲ) 他品種を育成する目的で行われる行為(以下略)」と明記されています(出典:特許庁「植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV条約1991年法) 」)。
そして、「レッドパール」を親品種として、「ソルヒャン」が交配された1998年は、韓国はUPOV条約を批准しておらず、日本も同年12月にUPOV条約 91年改訂事項を批准したばかりでした。
UPOV条約で認められた行為を、UPOV条約を批准していない国に対し、改訂UPOV条約を批准したばかりの国が批判することは、どう考えても無理と考えられます。
さらに、UPOV条約自体にも、第40条にて「この条約は、締約国の法令、同盟国間で締結された従前の条約又はこの条約以外の協定に基づき取得されていた育成者権を制限するものでない」とも定められています。つまり、条約の批准前に持ち込まれた品種については、今までどおりの利用が可能であることを明記しているのです。
以上を整理すると、UPOV条約を批准する前に韓国に導入された「レッドパール」は、「韓国で出生した」とみなされ、育種利用はもちろん、増殖を制限することもできないということになります。さらに、条約批准後に何らかの手違いで加盟国に流入した品種も、それを育種材料とするのは全く問題がありません。UPOV条約が「血統主義」ではなく、「出生地主義」であるための根拠になる考え方です。
日本で生まれた「レッドパール」が韓国に渡った当初は、両国でいいものを栽培できれば、という当事者たちの純粋な意思から始まっただけだったのかもしれません。
しかし、結果的に現地での品種育成にも使われ、日本生まれの品種が韓国の代表的な品種として栽培・販売されることになってしまいました。
金氏や西田氏が逝去されてしまった現在では、真相を突き止めることは難しい状況です。残された我々は、記録の精査を通じて、何があったのかをきちんと総括し、未来に生かすことしかできません。
ですが、いちごの流出問題とほぼ時を同じくした2000年代に、もうひとつの問題であるぶどうの「シャインマスカット」の流出問題が起こりました。次回は「レッドパール」とはやや事情が異なる「シャインマスカット」の流出について整理して考えてみたいと思います。
韓国では、野菜の種子は日本と同様にF1品種を種苗会社から買っているため、農家個人が品種を維持するのは難しい状況です。また、米の種もみの生産・流通は韓国政府の強い統制下にあるため、不正な方法で入手した品種が広がるといったことは起こっていません。
しかし、自家増殖ができるいちごに関しては、農家自らが品種を維持することができ、米に比べて政府の統制も弱いため、流出した品種の栽培が拡大してしまう場合もあります。
以上のような現状を背景として、物議を呼んだ日本発祥のいちご品種「レッドパール」の品種流出事案を例に、日本と韓国の品種管理のあり方について考えていきたいと思います。
いちご品種「レッドパール」流出に関する日韓の認識のずれ
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まず、いちご品種流出問題に関する日本側からの一般的認識は、以下のように4つに整理できます。
- 1990年代後半、韓国人「農業研究者」の金重吉氏が、愛媛県の民間育種家・西田朝美氏と個別に契約し、他では絶対に栽培させないという条件で「レッドパール」使用権の許諾を受けた。
- 金氏が約束を守らずに他社に種苗を譲渡した結果、2000年代前半には「レッドパール」が韓国いちご品種の過半を占めるようになり、日本に果実が「逆輸出」されるという事態が起きた。
- 西田氏+日本政府は、金氏+韓国政府と交渉を行うものの、年間3億4000万円というロイヤルティー(使用料など)に韓国側が反発し交渉が決裂。そのまま西田氏は2015年に逝去された。
- 韓国は、「レッドパール」を親とする品種「ソルヒャン(설향、雪香)」を勝手に育成し、韓国いちご品種の大半を占めるようになった。
しかし、日本側の公的資料に加え、韓国側の公的資料や新聞記事をもとに事案を再構成すると、意外な事実が見えてきました。日本で一般に流布されている認識とは異なる点を整理していきます。
「レッドパール」の日韓でのやりとりの経緯(筆者作成)
![](/images/thumbnail/width/800/images/upload/2024/04/3e9175cdca53d0ac2d4f703d36e96d90.png)
出典:
※1 農林水産省品種登録データベース
※2 農林水産省「国内育成品種の海外への流出状況について」
※3 忠清南道農業技術院いちご研究所「いちご研究所育成品種目録」
※4 農林水産省「UPOV条約について」
※5 「韓国農漁民新聞」2000.08.05付
※6 List of UPOV Members
※7 「ソウル新聞」2004.05.26付
※8 国立種子院データベース「レッドパール」
※9 国立種子院データベース「ソルヒャン」
※10 「ハンギョレ」2006.09.25付
※11 「ウリ文化新聞」2022.01.04付
※12 農林水産省「国内育成品種の海外への流出状況について」
※13 「デイリー新潮」2018.03.03付
※14 「韓国経済」2023.03.19付
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韓国の果物屋で販売されるいちご(出典:京畿道ニュースポータル<경기도 뉴스 포털>)
金重吉氏は、「農業研究者」ではなく、あくまで熱心な農家だった
まず、金重吉氏は、2000年の「韓国農漁民新聞」の記事の中で、「今年で農業を始めて38年になる67歳のいちご農家」と紹介されています。また、それを裏付ける資料として、彼が住んでいた慶尚南道晋州市の郷土史を記録する「晋州郷堂」というサイトに以下の記述があります。
「いちごは、1980年代はじめに金重吉氏がはじめて栽培をはじめたが、当時は30名あまりの農家がいちごづくりに精を出し、高い所得を得ていた。しかし、その後、農家の高所得源として定着していたいちご栽培は次第に減っていき、それを打開するために1985年にいちご共販班が組織された」(筆者翻訳)
さらに、金氏を紹介した記事の中で、「電照栽培やウォーターカーテン暖房を最初に導入したのは私であり、それを地域のいちご農家にも勧めた」(出典:「韓国農漁民新聞」2000.08.05付)、「それまで栽培していた『宝交早生』は韓国の土には合わず多収穫を望めないし、日持ちも悪いので、『レッドパール』の許諾を求めた」(出典:「聯合ニュース」2023.03.19付)とされています。
これらのことから、なぜそれほど熱心だったのかが理解しにくい部分はあるものの、金氏はリーダー農家としていちご産地に有効な技術を提供する一環として、「レッドパール」の許諾を受けるべきと考えていた、と思われます。
育成者である西田氏は、金氏以外に韓国内の生産者がいたことを知っていた
「デイリー新潮」の記事で、西田朝美氏の友人であるいちご農家の方が以下のように話しています。
「西田さんと何度も韓国へ行って、各地で栽培の仕方を教えたんだ。韓国の人が喜んでくれればと思ってね」
ここで、「各地」という表現をしていることから、個別使用に限定する契約をしていたにもかかわらず、金氏以外にも「レッドパール」栽培農家がいたことは西田氏も知っていたと考えられます。
金氏は、西田氏と契約した翌年に韓国の種苗保護当局に登録申請をしていた
種苗保護を管轄する韓国国立種子院ウェブサイトによると、「レッドパール」は「品種名称登録出願(出願公告番号:名称2006-677)」となっており、「出願日:1999年8月31日、出願公告:2006年5月15日、出願人:金重吉」と、約7年かかったことが記録されています。
私が調べた限りでは、出願から公告掲載まで7年を要した品種などは類例がありません。ですので、韓国国立種子院が異例の対応を行ったことがうかがえます。
出願者が登録した種苗を、業として生産・販売する確認を受けたことを示す「生産・販売届出現況」欄には、まだ出願中であった2002年に実に21名もの届出があり、個人名や企業名も記載されています。出願しただけで公告されていない種苗に対し、21名の届出があるというのは普通は考えられないことです。
さらに、2005年に金氏の農場を訪問した個人のブログによると、「『レッドパール』の栽培試験をしていたところ、どういうわけか誰かが先に出願したようだ」と金氏本人が語っていたと言います(出典:Think Globally ,Act Locally)。
これらのことから、
- 金氏が韓国で品種名称登録しようとした1999年以前に、「レッドパール」を「ユクボ(육보)」名義で登録した者がいた。
- 2002年には「ユクボ(육보)」名義で登録された「レッドパール」の種苗の生産・販売権を得た者が21名いた。
- 日本とのロイヤルティー紛争が起こっていた2006年に、「ユクボ(육보)」名義で登録した者の権利をはく奪し、代わりに金氏に付与した。
という処理が韓国内でなされていたことがわかります。
確かに金氏の種苗管理がずさんだったことも否定はできません。しかし、一般に言われる「金氏が無分別に種苗を譲渡した」とは言えないとも考えられます。
韓国側が交渉を決裂させたのは、日本への輸出を事実上禁止された点が大きい
いちご日韓ロイヤルティー紛争最盛期の2006年には、韓国側で以下のような報道がありました。
「2002年にUPOV条約に加入した後、はじめは2004年からいちごを保護品目として指定しようとしたが、副作用が大きく指定時期を2006年に延期した。しかし、保護品目指定を前に開かれた両国の農家代表間の交渉で日本側が過度なロイヤルティーと対日輸出禁止条件を要求し、交渉が進まなかったため、農林部が苦肉の策として国内いちご農家を保護するために指定をふたたび2年間猶予することにした」(出典:「ハンギョレ」2006.09.25付)
この記事だけを読むと、日本が韓国に無理な要求をしているように思えます。
しかし、農業専門紙である「園芸産業新聞」の記事(出典:「園芸産業新聞」2006.11.27付)を読むと、日本側の背景もきちんと理解することができます。
「『レッドパール』は、2008年11月には育成者権が消滅する。そうすると、育成者権を侵害する物品として関税法に基づく輸入禁止を申請できなくなる。日本側は10a当たり約5,000円の専用実施権とともに、輸出時期を日本の産地と重ならないように5~11月とすることを要求したが、韓国側が受け入れず決裂した(要約)」
10a当たり約5000円という専用実施権の妥当性について、手元にあるいちご栽培に関する農業技術書『농업기술길잡이 딸기(農業技術道しるべ いちご)』を参照すると、2008年時点でのいちご10a当たりの経営指標として「粗収益:1379万ウォン(1円=10ウォン換算で137万9000円)、所得748万ウォン(74万8000円)」となっています。日本が要求したというロイヤルティー経費(10aあたり5000円)が占める割合は、所得ベースでも0.6%程度にしかなりません。
「過度なロイヤルティー」という言葉は、農家サイドから見ても事実とは反すると考えられます。しかし、1万名以上いる韓国全土のいちご農家にロイヤルティーを賦課するよい方法がなかったため、韓国側が日本側の要求を断った、ということは十分にありそうです。
むしろ、交渉決裂の主な原因は、日本への事実上の輸出禁止が大きいと思います。なぜなら、促成栽培のいちごの出荷時期を考えると、12月~4月までの期間に日本への配慮によって輸出ができなければ、事実上輸出を禁止されたということと同じことだからです。
権利意識が薄かった時代の不幸な対立
![](/images/thumbnail/width/800/images/upload/2024/01/0d692dfd1b4aec9b3be03cf8e8fa0c98.jpg)
以上が、私が調べたいちご「レッドパール」における日韓ロイヤリティー紛争の顛末です。
個人的な感想ですが、農家側(金氏や西田氏)の「他のいちご農家にもいい技術を提供したい」という当初の思いとは異なる形で、事態がこじれたことがうかがえます。そして、こじれた過程には、日韓政府の面子も影響したと考えます。
ここで思うのは、事態がこじれる前に、誰かに相談できなかったのかということです。
何度も訪韓していた西田氏であれば、韓国のいちご産地で「レッドパール」が広がっていたことはどこかの段階かでわかったでしょう。その時点で疑問を持ち、どこかに相談ができなかったことが悔やまれます。
金氏にしても、自らが実施権を得た「レッドパール」に対し、他者が韓国の種苗当局に申請したことがわかった時点で、強く抗議するべきだったとも思います。
2人がそれをためらったのは、韓国がUPOV条約に加入していない時代であったこと、日本も加入して間もない状況であったこともあり、知識も乏しく、誰もわかってくれないという諦念もあったのかもしれません。
![](/images/thumbnail/width/800/images/upload/2024/01/de3a512651d30b331eacdcc56bf6dcfa.jpg)
「レッドパール」を親とした「ソルヒャン」の品種育成は違法か
ただし、この日韓いちご品種のロイヤルティー紛争は、個人同士の流出以外の部分で後日談があります。
それは、金氏が西田氏から許諾を受けた1998年に、忠清南道農業技術院・いちご研究所が「レッドパール」を用いていちご新品種を育成するための交配を行っているという事実です。
同研究所が「レッドパール」をどのように入手したか、その経路は不明ですが、「レッドパール」と「章姫」(あきひめ)を交配させて得られた個体(実生)の中から、「大果でありながら多収性、うどんこ病や炭疽病にも強い、奇形果の発生が少なく高温期にも色が濃くなりにくい」という特性を持つ新品種「ソルヒャン(설향、雪香)」が選抜され、2006年に韓国で品種登録が行われています。
「ソルヒャン」は、まだ品種登録を行っていない2005年から現地での普及が始まり、2009年時点では韓国のいちごの50%、2013年以降現在までの間に90%以上を占める品種になっています。
2018年の平昌オリンピックにおいて、日本のカーリング選手団が試合の途中でいちごを食べているシーンが報道され、それを契機に日韓のいちご品種紛争が再燃したことを覚えていらっしゃる方も多いと思います。この時のいちご品種が「ソルヒャン」です。
では、「『レッドパール』を親として、勝手に新品種『ソルヒャン』を育成した」ことは問題なかったのか。当然違法のように思えますが、ここでもUPOV条約などの時代の間の問題がありました。
日本の種苗法第21条には、「育成者権の効力は、次に掲げる行為には、及ばない。一 新品種の育成その他の試験又は研究のためにする品種の利用(以下略)」と明記されています(出典:e-gov法令検索 平成十年法律第八十三号 種苗法)。
すなわち、育成者権が拡充された現行法令ですら、品種育成者は第三者が品種改良用に使用することに法的に対抗できないのです。
次に、「植物の新品種の保護に関する国際協約(UPOV条約)」第15条を見てみると、育成者権の義務的例外を定めた行為として「(ⅱ) 試験目的で行われる行為 、(ⅲ) 他品種を育成する目的で行われる行為(以下略)」と明記されています(出典:特許庁「植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV条約1991年法) 」)。
そして、「レッドパール」を親品種として、「ソルヒャン」が交配された1998年は、韓国はUPOV条約を批准しておらず、日本も同年12月にUPOV条約 91年改訂事項を批准したばかりでした。
UPOV条約で認められた行為を、UPOV条約を批准していない国に対し、改訂UPOV条約を批准したばかりの国が批判することは、どう考えても無理と考えられます。
さらに、UPOV条約自体にも、第40条にて「この条約は、締約国の法令、同盟国間で締結された従前の条約又はこの条約以外の協定に基づき取得されていた育成者権を制限するものでない」とも定められています。つまり、条約の批准前に持ち込まれた品種については、今までどおりの利用が可能であることを明記しているのです。
以上を整理すると、UPOV条約を批准する前に韓国に導入された「レッドパール」は、「韓国で出生した」とみなされ、育種利用はもちろん、増殖を制限することもできないということになります。さらに、条約批准後に何らかの手違いで加盟国に流入した品種も、それを育種材料とするのは全く問題がありません。UPOV条約が「血統主義」ではなく、「出生地主義」であるための根拠になる考え方です。
日本の品種を守るという農家と国の意識が不可欠
日本で生まれた「レッドパール」が韓国に渡った当初は、両国でいいものを栽培できれば、という当事者たちの純粋な意思から始まっただけだったのかもしれません。
しかし、結果的に現地での品種育成にも使われ、日本生まれの品種が韓国の代表的な品種として栽培・販売されることになってしまいました。
金氏や西田氏が逝去されてしまった現在では、真相を突き止めることは難しい状況です。残された我々は、記録の精査を通じて、何があったのかをきちんと総括し、未来に生かすことしかできません。
ですが、いちごの流出問題とほぼ時を同じくした2000年代に、もうひとつの問題であるぶどうの「シャインマスカット」の流出問題が起こりました。次回は「レッドパール」とはやや事情が異なる「シャインマスカット」の流出について整理して考えてみたいと思います。
【連載】種苗流出問題に見る、未来の日韓農業のあり方
- 実は海外の品種使用に批判的 韓国農業界の「種子主権」という考え方
- 日本から流出した「シャインマスカット」はなぜ韓国で育種に使われていないのか
- 日本生まれのいちご品種「レッドパール」の韓国への流出はなぜ起きたのか
- 韓国農業に根付く「身土不二」運動と日本との関係
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