日本の主食がコメから小麦に変わった背景【連載・コメより小麦の時代へ 第1回】

「日本人の主食は何か」と聞かれて、「コメ」と答える人は多いだろうが、少なくとも金額ベースで見れば間違いだ。

1世帯当たりの支出額は2014年からパンがコメを上回り続けている。ただ、原料となる小麦の自給率は12%と寂しい限り。パン用に限れば3%に過ぎない。好ましいことに国産小麦への需要は高まっており、それに応える取り組みが各地でゲリラ的に展開されつつある。

引用元:麦の参考資料 - 農林水産省[PDF]https://www.maff.go.jp/j/seisan/boueki/mugi_zyukyuu/attach/pdf/index-71.pdf

ここから日本農業の将来を考えるヒントをつかみたい。

初回と次回は日本人と小麦、特にパンとの関係について戦後からなぞっていきたい。コメの消費が落ち込む一方、我々がパンをはじめとする小麦製品を食べるようになった要因は確かにそこにあるからだ。


終戦で米国の農産物が余る


戦前、日本人の主食といえばコメだった。昭和に入ってから終戦まで一人当たりの年間消費量はじつに120~170kgに及ぶ。現在が54kg(2016年)なので、当時はいまの2~3倍ほどのコメを腹に収めていたというわけである。

それが戦後になるとコメに代わって小麦製品、特にパンがじわじわと伸びていく。1人が1日で摂取するカロリーの品目別の推移について、最も古い統計として残る1960年と2018年でみると、コメは1105kcalから528kcalに減った。

一方、小麦は250kcalから359kcalに増えた。なぜ相対的にコメは減り、小麦製品は増えてきたのか。


発端は米国が戦後すぐに直面した農産物の過剰在庫の問題にある。米国の農産物は戦時中、連合国の兵食として大量に消費されていた。それが終戦とともに行き場を失うことになったのだ。

第33代大統領のハリー・S・トルーマンは1947年に共産圏に対する封じ込め政策、いわゆる「トルーマン・ドクトリン」を宣言。東西冷戦体制を固定化させた。

直後に国務長官だったジョージ・C・マーシャルが「ヨーロッパ復興計画(マーシャル・プラン)」を提案して実行に移され、戦火で農地が荒廃していた欧州諸国に食糧援助に乗り出す。1950年には朝鮮戦争が勃発。大量の兵食が必要とされたことで、米国の余剰農産物の問題は一時鳴りを潜めた。

ところが53年に朝鮮戦争が終わると、再び農産物は余り始める。

追い打ちをかけるように同年と翌年は世界中で小麦が大豊作となった。しかもカナダや豪州が安値で放出したことから、米国が抱える小麦の在庫は3000万tに達した。日本のコメの年間需要量は偏在730万t程度なので、その大きさがわかってもらえるだろう。

しかも麦はコメより経年劣化しやすい。早急に処理をする必要に迫られた。


米国での「余剰農産物処理法」の成立

そこで1953年に米国が取った手がMSA(相互安全保障法)の改定だ。

対外向けの経済援助法と軍事援助のための相互防衛援助法、技術援助のための国際開発法の三法を1951年に一つにまとめたのがMSA法であり、そこに食糧援助を含めるようにしたのが改定の趣旨である。

要は、食糧援助を名目に相手国の軍備強化を義務付け、対共産圏の味方を増やそうとしたのだ。

当然ながら米国は日本にもMSAの締結を求めてきた。食糧難に陥っていた日本は1954年に同協定に調印。小麦60万t、大麦11万6000t、総額5000万ドルに及ぶ農産物を受け入れた。

厚生労働省はこの小麦をパンにして学校給食にミルクとともに提供すると同時に、パンを主体とした粉食を広める「栄養改善運動」を展開していった。

同年7月16日にはMSAを改定した農業貿易促進援助法(PL480法案)が米国第83議会で可決される。通称が余剰農産物処理法とも呼ばれるこの法律の骨子は次の3つである。

1. 余剰農産物の外国通貨による売却(各国ともにドル不足のため)
2. 災害の救済などのための余剰農産物の無償贈与
3. 貧窮者への援助と学校給食に使用することを目的とした贈与

PL480法を受けて余剰農産物協定を締結したのは欧州ではイタリアやユーゴスラヴィア、中近東ではトルコやパキスタン、アジアでは日本、韓国、台湾など。アジアの各国の主食は言うまでもなくコメである。

そこにパンやミルクを普及するには学校給食で子どもの時分から親しんでもらうことが一番ということで、「3. 貧窮者への援助と学校給食に使用することを目的とした贈与」を入れたのだ。


日本に入った1億6580万ドルの余剰農産物


1955年に調印した第一回の日米余剰農産物協定では、35万tの小麦に加え、綿花や葉たばこなど総額1億ドルの余剰農産物を米国から仕入れることが決まった。

日本にとっては、これだけの農産物を資金要らずで受け入れるだけではなく、製粉会社など食品会社への販売代の7割の復興資金を得ることができた。一方、米国は残りの3割で日本での米国産農産物の宣伝販売や市場開拓の資金とした。

翌年に調印した第2回目の日米余剰農産物協定では買い付け総額は6580万ドルとなり、このうち日本は75%を取り分とした。2度にわたる交渉で日本は米国から1億6580万ドルの農産物を受け取り、それを国内で販売した代金の約7割に当たる393億円の資金を入手した。

戦後すぐの日本にとって食料不足への対策は喫緊の課題であった。だから余剰農産物を受け入れたことは致し方ないと思われる。

気になるのは、この余剰農産物の受け入れが、いかにしてコメの消費を減らし、小麦を増やしていったのかだ。

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WRITER LIST

  1. 堀口泰子
    栄養士、食アスリートシニアインストラクター、健康・食育シニアマスター。フィットネスクラブ専属栄養士を経て独立。アスリートの食事指導や栄養サポートの他、離乳食から介護予防まで食を通じて様々な食育活動を行う。料理家としても活動し、レシピ提案、商品開発も担う。食事は楽しく、気負わず継続できる食生活を伝えることを信条とする。スポーツの現場ではジュニアの育成、競技に向き合うための心と体の成長に注力している。HP:https://eiyoushiyakko.jimdofree.com/
  2. 大槻万須美
    管理栄養士・フードスタイリスト。楽しく食べて健康に。食の大切さを伝えるため、料理教室、バレエダンサーやアスリートのパーソナル栄養サポート、レシピ・コラムの提供など幅広く活動。子どもの頃の毎年の米作り経験から、身近な食体験の重要性についても実感し、おとなと子どもの食育サポートにも力を注いでいる。
  3. 田牧一郎
    たまきいちろう。68歳。日本で15年間コメ作りに従事した後、アメリカに移り、精米事業、自分の名前をブランド化したコメを世界に販売。事業売却後、アメリカのコメ農家となる。同時に、種子会社・精米会社・流通業者に、生産・精米技術コンサルティングとして関わり、企業などの依頼で世界12カ国の良質米生産可能産地を訪問調査。現在は、「田牧ファームスジャパン」を設立し、直接播種やIoTを用いた稲作の実践や研究・開発を行っている。
  4. 田中克樹
    たなかかつき。32年間の農業出版社勤務を経て、2020年末、故郷の八ヶ岳南麓に帰郷。仲間と共に農業・福祉系NPOを立ち上げ、遊休農地・耕作放棄地を再生し、心身の癒しや健康づくりにつながる有機無農薬の体験型農園づくりに取り組む。NPOでは田んぼ除草にホバークラフトを活用したスマート技術を開発中。農と風土(フード)を愛する人たち向けのブックカフェ・居酒屋を開くのが夢。
  5. 山田正美
    大阪工業大学大学院修了。福井県職員として、農業試験場研究員、専門技術員、農業技術経営課長、農林水産部技幹を経て退職。現在、日本生産者GAP協会常務理事、日本農業サポート研究所主席コンサルタント。
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