昆虫を用いた「天敵農薬」新時代 〜餌探しを「あきらめない」天敵昆虫の先にある未来
農研機構が餌探しを「すぐにあきらめない」天敵昆虫を育成した。それは「みどりの食料システム戦略」推進に貢献する技術であるという(農林水産省 みどりの食料システム戦略)。
そもそも天敵昆虫とは一体なんなのだろうか? 本稿では天敵(昆虫やダニ)の農業利用=天敵農薬とはなにかを復習しつつ、農研機構が「すぐにあきらめない」性質をもつ天敵昆虫を育成した背景と、その先にある未来について紹介していく。
天敵昆虫を利用して防除する「天敵農薬」が今、注目されている
「天敵」とは、ある生物を攻撃して捕食、寄生、繁殖能力の低下等をもたらす他種の生物のこと。この天敵を農薬として活用する場合を、農薬取締法で農薬とみなしている。これが「天敵農薬」だ。
農林水産省は「農薬登録の実態としては、生きた状態で、資材として製品化され、効果や安全性をデータで示すことが可能であり、効果があり、安全性に問題ないものが対象」としている。微生物を防除に利用する場合は微生物農薬とされる。天敵農薬と微生物農薬をあわせて生物農薬という(農林水産省「生物農薬(天敵農薬)の評価法に関する検討会」 天敵農薬の影響評価における用語の定義 参考資料1 より)
日本で初めて天敵農薬が登録されたのは1951年のこと。温州みかんの害虫であるルビーロウカイガラムシの寄生蜂であるルビーアカヤドリコバチが農薬登録された。1970年には武田薬品工業がリンゴやナシにつく害虫クワコナカイガラムシの天敵であるクワコナカイガラヤドリコバチ(商品名:寄生蜂剤クワコナコバチ)を農薬登録した。これが商業利用された日本初の天敵農薬と認知されている。
1990年代に生物農薬の登録に関する環境整備が進められると、毎年のように天敵農薬が登録されるようになった。2024年1月1日現在では、天敵農薬は22種55銘柄が登録されている。
カメムシはイネを加害することで有名だが、天敵農薬について知らない方であれば、そのカメムシの仲間にも天敵農薬として活用されている種があると聞くと驚くかも知れない。また生物を海外から導入することに対して、生態系に与える影響や種の交雑を心配される方もいるはずだ。
だが、前述したように天敵農薬は(化学農薬と同じように)農薬登録されている。それはつまり効果や安全性が科学的に証明されているということ。外来の天敵を利用した製剤は施設内での使用に限定され、露地栽培で使用する天敵は、ほとんどが日本土着の昆虫を製剤化したものである。
一方で近年、農林水産省において天敵農薬の評価に必要な資料について議論が進められている。2021年(令和3年)より開催されている「生物農薬(天敵農薬)の評価法に関する検討会」の第3回が2022年(令和4年)に開催された。そこで農林水産省消費・安全局農産安全管理課農薬対策室の担当者に、この検討会が開催された背景をうかがった。
「みどりの食料システム戦略で化学農薬使用量(リスク換算)の低減を掲げ、代替する資材として生物農薬(天敵農薬)をあげていることから、今後、天敵農薬の登録が増加すると考えられます。このため、生きた製剤(昆虫・ダニ)を環境にまくとどのような影響があるのか今一度しっかりと評価する必要がある、というのがこの検討会が立ち上がった理由です。
すでに検討から次のフェーズに進んでおり、農業資材審議会農薬分科会のなかに生物農薬評価部会を立ち上げてどういうデータで評価するのが良いのかを検討し、データ要求に関する通知案をまとめました。今はパブリックコメントを受け付けている段階です。
現在、外来の天敵農薬はほとんどが施設内限定で使われており、露地栽培で広くまく製剤には日本土着昆虫が使われています。外来生物と在来種との交雑や外来生物の日本での定着は、避けなければなりません。このため、外来生物を外にまくには、日本で定着しないかどうか、十分に評価する必要がある。パブリックコメントを経て、これからその評価方法が決まって行きます」。
すでに検討から次のフェーズに進んでおり、農業資材審議会農薬分科会のなかに生物農薬評価部会を立ち上げてどういうデータで評価するのが良いのかを検討し、データ要求に関する通知案をまとめました。今はパブリックコメントを受け付けている段階です。
現在、外来の天敵農薬はほとんどが施設内限定で使われており、露地栽培で広くまく製剤には日本土着昆虫が使われています。外来生物と在来種との交雑や外来生物の日本での定着は、避けなければなりません。このため、外来生物を外にまくには、日本で定着しないかどうか、十分に評価する必要がある。パブリックコメントを経て、これからその評価方法が決まって行きます」。
農業生産者にとっての天敵農薬のメリット・デメリット
農業生産者にとって、天敵農薬を活用することで、どのようなメリットが得られるのだろうか? 農薬工業会のウェブサイト(JCPA農薬工業会 農薬は本当に必要? )がわかりやすく説明してくれているので、要約して転載した。
- 環境や人畜をはじめとする有用動植物に対する影響が低い
- 収穫物の残留毒性の心配がない
- 抵抗性が発生しにくい
- 環境負荷が少なく使用回数に制限のない薬剤が多いため、果菜類など栽培期間の長い作物でも作期を通じて防除可能
- 一部の生物農薬の放飼作業は薬剤散布に比べて省力的である
「生物農薬は、登録要件となる試験項目が化学農薬と比較すると少なく、農薬として市場に出すまでの時間が短いため、開発コストが比較的低い」と書かれていたが、これは生産者でなく農薬メーカーに対するメリットである。
同ページには、デメリットも記されているので、そちらも要約して転載しておこう。
- 生物農薬は効果を示す防除対象が化学農薬に比べて狭いため、複数の病害虫が同時に発生する環境では生物農薬だけで全ての病害虫を防除するのは困難
- 防除コストは化学農薬と比べ高くなる傾向がある
- 使用に際して、散布適期の見極めに習熟が必要
- 効果が現れるのに時間がかかるものもあり、その間に作物が被害を受ける場合がある
- 在来種以外の天敵昆虫は施設内での使用に限られる
- 保存性の劣るものが多く開封後使い切る必要があり、輸送・保管にも配慮が必要
農薬を含めたあらゆる農業資材が高騰している現在、効果的な防除としてIPM(Integrated Pest Management:総合的病害虫・雑草管理)という考え方が注目されている。
これは耕種的防除・化学的防除・物理的防除・生物的防除を組み合わせて防除しようという考え方だ。化学的防除に偏重しすぎず、他の防除をバランス良く組み合わせることで作業者と環境への負荷を下げ、コストを下げ、トータルとして効果的に防除できる。得られるメリットを考慮すれば、天敵農薬を含めた生物的防除はもっと普及して良いはずだ。
農研機構が育成した「あきらめない」天敵昆虫は防除効果を高める
ここからは今回農研機構が発表した研究成果について説明して行こう。
アザミウマ類は、ナス、ピーマン、イチゴをはじめとした野菜類のほか、花きや果樹などの重要害虫として知られている。
農研機構は、このアザミウマ類の天敵である「タイリクヒメハナカメムシ」の性質=個性に着目した。長時間にわたり害虫を粘り強く探索して捕食する=「すぐにあきらめない」性質をもつ系統を選抜・育成することで、防除効果を高められることを明らかにしたという。
研究担当者の農研機構植物防疫研究部門作物病害虫防除研究領域で上級研究員をつとめる世古智一さんが教えてくれた。
「天敵昆虫は放した直後の定着が難しく、それが防除失敗の原因になりやすいのです。餌となる害虫が多いと食べきれませんから、害虫が初期発生したタイミングで天敵昆虫を放す必要があります。逆に餌となる害虫が少なすぎると、せっかく放した天敵昆虫が餓死してしまいます。この定着が難しいという点が、多くの天敵農薬に共通する課題になっています。
私たちは、天敵の定着失敗に餌の探索行動が関係しているのではないか、と考えました。多くの動物類では、餌がみつからないときの探索行動に二つの型があることが知られています。一つは、ゆっくり何度も方向転換して餌場内を丁寧に探索する「集中型」。もう一つは、素早く直線的に移動してすみやかに移動する「広域型」です。
私たちは、天敵の定着失敗に関して仮説を立てました。餌が見つからない場合、すぐに探索行動を切り替えて餌場を去ることが定着失敗の原因なのではないか。餌場をすぐに去らず、粘り強く探索するような性質に改良すれば定着率を高めることができるのではないか。という仮説です(図1)。
というのも、定着失敗の要因が、餌が発見できず外に出て行こうとする行動(壁の隙間に挟まって抜け出せずに死亡する)や、餌が発見できず体力を消耗して死亡する個体が多くみられたからです。
私たちは、天敵の定着失敗に餌の探索行動が関係しているのではないか、と考えました。多くの動物類では、餌がみつからないときの探索行動に二つの型があることが知られています。一つは、ゆっくり何度も方向転換して餌場内を丁寧に探索する「集中型」。もう一つは、素早く直線的に移動してすみやかに移動する「広域型」です。
私たちは、天敵の定着失敗に関して仮説を立てました。餌が見つからない場合、すぐに探索行動を切り替えて餌場を去ることが定着失敗の原因なのではないか。餌場をすぐに去らず、粘り強く探索するような性質に改良すれば定着率を高めることができるのではないか。という仮説です(図1)。
というのも、定着失敗の要因が、餌が発見できず外に出て行こうとする行動(壁の隙間に挟まって抜け出せずに死亡する)や、餌が発見できず体力を消耗して死亡する個体が多くみられたからです。
世古さんを中心とする研究チームは、多数の個体の中からあきらめ時間が長い個体を選抜した。すぐにあきらめない=「集中型」の個体はゆっくりと非直線的に歩行するため、一定時間あたりの歩行活動量が低い。そこで歩行活動量を選抜の指標として歩行活動量の低い個体を全体の30%ずつ選抜して交配させる作業を繰り返した(図2)。
選抜された歩行活動量の短い集団の個体は、歩行活動量の長い集団の個体に比べてゆっくりと非直線的に歩行しており、「集中型」の探索行動(=あきらめ時間の長い)の特徴が確認された(図3)。これを40世代以上選抜を繰り返して、歩行活動量の低い系統を育成した(以下、選抜系統)。選抜系統のあきらめ時間は、選抜を行わずに維持している系統(以下、非選抜系統)に比べて2~3倍長かった。
こうして作出された選抜系統=「すぐにあきらめない」タイリクヒメハナカメムシは、2018年に行ったナス培地圃場(10a)における実証試験の結果、非選抜系統に比べて長くナスの上に留まり、高確率で定着してアザミウマの増加をより強く抑制した(図4)。「すぐにあきらめない」特性を持つタイリクヒメハナカメムシは、非選抜系統よりも防除効果が高いことが明らかになったのだ。
高精度で天敵昆虫を改良することで、天敵昆虫活用の場が広がる
研究チームは、今回の研究で「歩行活動量の低い個体を選抜して育成する」という手法を用いたが、今後は「すぐにあきらめない」形質に関する遺伝子を解明して、マーカー選抜を用いて行くという。
これにより、より高精度に「すぐにあきらめない」タイリクヒメハナカメムシを育成できるようになる。また、ゲノム研究が進んだ今、この手法を用いることで、タイリクヒメハナカメムシ以外の天敵昆虫についても定着率向上が望めることだろう。
世古さんによると、例えば「よりたくさんの害虫を食べてくれる天敵昆虫」「低温条件でも活動する天敵昆虫」などの育成も可能になるという。最新のゲノム研究を活用することで、これまで天敵昆虫の活用が難しかった作物や栽培環境でも、天敵昆虫を活用できるようになる可能性があるそうだ。
これを世古さんは天敵昆虫を「いつでも、誰でも、どこでも、使える技術にする」と表現した。「すぐにあきらめない」天敵昆虫の先にあるのは、「いつでも、誰でも、どこでも、使える」天敵昆虫なのだ。
農研機構プレスリリース:餌探しを「すぐにあきらめない」天敵昆虫を育成
https://www.naro.go.jp/publicity_report/press/laboratory/nipp/161258.html
SHARE