がんばれ!油菜ちゃん──南相馬で農地とエネルギー再生を目指す取り組み

菜の花が満開! 南相馬の春

「なたねオイルの油菜(ゆな)ちゃん」をご存じですか?

8年前の東日本大震災を機に、福島県の一般社団法人 南相馬農地再生協議会のみなさんが、地震と津波、原子力災害に見舞われた農地の再生を願って生み出した菜種油です。


2019年4月13日、常磐線の磐城太田駅近くの畑で、菜の花のお花見会が開かれました。黄色い菜の花が一面に咲き誇って、まるで黄色いじゅうたんのよう。この花が散り、細長いさやの中に小さな丸い種子をたくさん実らせるのが7月。それを集めて圧力をかけ、ギュッと絞って生み出される。それが菜種油です。

菜種油は、かつて日本人にとって最も身近な油でした。食用だけでなく、灯明や油紙、ビニールが生まれる前は農業用の温室にも使われていました。

農林水産省の調査によると、日本で生産されている食用油約170万トンのうち、国産原料から製造されているのは6万5870トンで全体の約4%。輸入原料として最も多い「ナタネ」は全体の約6割を占めているのに対して、国産の「なたね・からし」は824トン。菜種油は、私たちの食生活に浸透しているおなじみの油なのですが、その大部分が外国産。国産品はとても少なく、貴重な存在であることがわかります(農林水産省食料産業局食品製造課「油糧生産実績表」より)。

南相馬市の生産者の杉内清繁さんは、20年前から原町区でお米の有機栽培に取り組んでいました。自宅は福島第一原発から約20キロメートルの太田地区にあり、原発事故が起きて避難を余儀なくされた時、「汚染された農地で、もう一度ちゃんと作物を作りたい。でも、ここでまたお米を栽培しても、震災前と同じように買ってもらうのは難しいだろう。だとしたら、何を作ればいいのだろう?」と考えました。


杉内さんは、稲作の師匠であるNPO法人民間稲作研究所の稲葉光圀先生を頼り、栃木県上三川町に避難します。そこで稲葉先生と相談の結果、2011年秋、米に代わる新たな作物として、南相馬でナタネの栽培実験を始めました。

ではなぜ、ナタネだったのでしょう?

土壌の放射性物質を浄化し、しかも菜種油には残らない!

「ナタネは、数ある作物中で土中の放射性物質を吸収する力が最も強いので、これを栽培することで、少しずつではあるけれど、土中のセシウムを減らすことができるのです」と、教えてくださったのは「NPO法人チェルノブイリ救援・中部」(略称:チェル救)の河田昌東先生です。

これは「バイオレメディエーション」(Bioremediation)と呼ばれる、植物の力を借りて土壌からセシウムを抜いていく方法。時間はかかりますが、チェルノブイリでも実証実験が進められました。

その中心的な役割を果たしているのが、名古屋市で活動を続けるチェル救。1990年からウクライナのジトーミル州ナロジチ地区で、医療救援活動や農地再生に取り組んできました。理事を務める河田先生とチェル救のメンバーは、福島で原発事故が起きた時、いち早く現地入りし、それまでの知識と経験を生かし、地元住民のみなさんと細かなメッシュの空間線量マップの作成や、市民が家庭菜園で栽培した作物の測定などを行っています。

NPO法人チェルノブイリ救援・中部の河田昌東先生

「ナタネが吸収したセシウムは、茎や葉、種子の絞りかすには残ります。でも、放射性物質は水溶性なので、油には移行しません。私たちがチェルノブイリの支援を通して学んだことを、福島で生かしたい」

栃木県上三川町に避難していた杉内さんは、ここで稲の有機栽培の指導に取り組む稲葉光圀先生から、ナタネには除染効果があり、種子を絞った油に放射性物質が移行しないという事実を知らされます。そして栃木県と南相馬を行ったり来たりしながらナタネを播き、稲葉先生と一緒に上三川町に搾油所を設立。ふたりで韓国まで搾油機を買いにいくなど、手探りで奮闘しながら、2013年「南相馬農地再生協議会」を立ち上げて、ナタネ油の商品化を進めていきました。

こうして2014年夏、なたねオイルの「油菜ちゃん」が誕生しました。名前とラベルのデザインは、地元の相馬農業高校の生徒さんが考案。菜の花の精とミツバチをイメージした、小さな女の子がトレードマーク。地元では、まるで近所か親戚の童女を愛でるように「油菜ちゃんがね」「油菜ちゃんがさ……」と、親しまれています。

なたねオイル「油菜ちゃん」とその関連商品

その後、隣の相馬市で養鶏に取り組む菊地将兵さんの「ミルキーエッグ」を使った「油菜マヨ」、相馬農業高校の後輩たちが6次化に取り組んだドレッシング、南相馬市では最後になる2016年に避難解除された小高区の住民の方々が栽培する唐辛子とコラボした「辛油」も登場。薬剤や熱処理を行わず、低温圧搾法で、菜種をそのまま絞った菜の花色の「油菜ちゃん」に加え、地元の人たちが6次産業化に取り組んだ「お友だち」も増えています。

「これは油じゃない。ソースだ!」

お花見の当日、スペシャルゲストとして、オイルソムリエとしても活躍する小暮剛シェフがやってきました。小暮シェフはこの時油菜ちゃんと初対面。当日集まった80人の参加者を前に、「これは単なる油ではありません。このままで十分上質なソースになります!」と絶賛。しょうゆと油菜ちゃんを好みの割合(1:5が目安)でペットボトルに入れ、フタをしてシャカシャカと振り、サラダや料理にかけるだけ。醤油と相性のよい食材や料理なら何でも使えると言います。

オイルソムリエであり、出張料理人・料理研究家としても活躍する小暮剛シェフ

「良質な油を摂取することが健康につながる──今、そう考える人が増えています。そんな中で、添加物を加えず低温で種子を潰しただけのピュアななたねオイルの『油菜ちゃん』はすばらしい油だと思います」

食事会で盛り上がった後、南相馬市原町区信田沢(しだざわ)の小さな搾油所を訪ねました。油菜ちゃんはずっと栃木で搾油されていましたが、2018年2月、念願叶ってようやく地元に設立された新しい搾油所が誕生しました。


「HANDER」の文字が記された赤いマシンに、黒く小さな種を「ザザザーっ」と投入すると、ぽたりぽたり。黄金色の雫が落ちてきます。まだ細かな不純物が入っているので、ろ紙で丁寧に濾し、澱(おり)が沈殿するのを待ち、ゆっくりゆっくり純度をあげていく……。搾油率は約3割。薬剤を使って種を溶かすより効率が悪く、とても根気のいる作業ですが、こうした工程を経て、黄金色に輝く「油菜ちゃん」が生まれるのです。

余った残渣もバイオエネルギー自給に活用

杉内さんは言いました。

「油菜ちゃんは、今年で6歳。やっと小学校入学です」

地震と原発事故の被害を受けた場所で、もう一度作物を作りたいと奮起。ナタネのチカラを借りて、除染と商品化を同時に進めながらやっとここまできました。

昨年の栽培面積は70ha。今年は100haを目指して栽培中。気がつけば南相馬は菜の花でいっぱいの町になりました。6次化も実現させて、少しずつ応援する人も増えています。


だけど、「油菜ちゃん」の使命はそれだけではないのです。
「食料だけでなく、エネルギーも自給したい」と杉内さん。

化石燃料や原子力に頼らない再生可能エネルギーとして、震災後は太陽光や風力発電が脚光を浴びましたが、それとは違うもう一つの切り札があります。それは「バイオエネルギー」というもの。

搾油後に大量に残るナタネの茎や葉、食品や畜産物の残渣を微生物のチカラで発酵させて、メタンガスを製造します。ガスにはセシウムは移行しません。プラントを作ってこれを実用化させれば、地元の資源を循環させながらお風呂を沸かしたり、照明や家電を使うことができます。さらに菜種油を中心に使用済みの食用油を回収して、ディーゼル油に転換し、畑を耕すトラクターにも使うことができます。

みんなで南相馬に「油菜のさと」を創ろう!

ドイツには、畜産の廃棄物等を軸に、バイオガスを発生させ、エネルギーを循環させている人口1000人の村があり、ユーロ諸国では大型のプラントも実用化されています。日本でも一部で運用されていますが、まだまだ身近な存在ではありません。

先にご紹介した河田先生らチェル救のメンバーは、ウクライナの人たちとの共働事業で、これをナロジチ地区で実現させていました。ところが、ロシア軍のウクライナ侵攻を機に計画はストップ……。

「だからこそ私たちは、南相馬に“油菜のさと”を創りたいんです」

菜の花が一面に咲く場所にバイオガスプラントを設け、そこから生まれるエネルギーを利用して、搾油所や農産加工施設、レストランなどを運営します。そしてそこは、子どもたちが笑顔で遊んだり、ナタネやエネルギー循環について学べる場所でもあります。

原発事故で傷ついた人たちが、自然とナタネのチカラを借りて、自ら人間らしい暮らしを創り出す場所。そして誰もが栽培とバイオエネルギーを連動させた、新しい農業のあり方を切り開く場所——そんな「油菜のさと」を実現するには、バイオガスプラント建設に向けての研究や資金調達など、課題も山積みになっています。

「道程はまだまだこれから。『油菜ちゃん』が立派に大人になる日まで、見守っていてください」と、杉内さん。

人間に例えればまだ小学1年生。ランドセルに農地とエネルギー再生の夢を詰めて、歩き始めた油菜ちゃん。
Facebookでぜひ“お友だち”になって、その背中を押してください。


<参考URL>
油菜ちゃんFacebookページ
一般社団法人 南相馬農地再生協議会
チェルノブイリ救援・中部

<参考文献>
河田昌東『チェルノブイリと福島』(緑風出版)

【連載】三好かやのの「TALKに行きたい!」
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WRITER LIST

  1. 大坪雅喜
    おおつぼまさのぶ。1973年長崎県佐世保市生まれ。FARM DOI 21代表(農業者)・アグリアーティスト。 早稲田大学第一文学部史学科考古学専修卒業。学生時代に考古学、水中写真、自然農という世界を覗き込む。2006年9月、義父が営む農業の後継者として福岡県大川の地で就農。農業に誇りを持ち、未来には普通となるような農業の仕組みやサービス(カタチ)を創造していくイノベーションを巻き起こしたいと考える。縁のある大切な人たち(家族)と過ごす物心ともに満たされた暮らしの実現こそが農業経営の最終的な目的。現在、佐賀大学大学院 農学研究科 特別の課程 農業版MOT 在籍中。
  2. 柴田真希
    管理栄養士。㈱エミッシュ代表取締役。Love Table Labo.代表。27年間悩み続けた便秘を3日で治した雑穀や米食の素晴らしさを広めるべく、雑穀のブランド「美穀小町」を立ち上げる。現在はお料理コーナーの番組出演をはじめ、各種出版・WEB媒体にレシピ・コラムを掲載する他、食品メー カーや飲食店のメニュー開発やプロデュースなどを手がける。『私は「炭水化物」を食べてキレイにやせました。』(世界文化社)、『はじめての酵素玄米』(キラジェンヌ)など著書多数。
  3. 大城実結
    おおしろ みゆう。フリーランス編集ライター、大城文筆事務所所長。一次産業ほか地域文化、アウトドアなどお天道様系分野を専門に編集・執筆している。自転車で鍛えた脚力を活かし、農家さんのお手伝いをしながらインタビュー取材を積極的に行う。玉掛け免許と床上式操作クレーン免許所持。
  4. 井中優治
    いちゅうゆうじ。株式会社収穫祭ベジプロモーター。福岡県農業大学校卒。オランダで1年農業研修。元広告代理店勤務を経て、新規就農6年目。令和元年5月7日に株式会社収穫祭を創業。主に農業現場の声や九州のイベント情報などを発信している。
  5. 中田馨
    一般社団法人 離乳食インストラクター協会代表理事、中田家庭保育所 施設長。息子が離乳食を食べてくれないという経験から、離乳食に興味を持つ。保育士目線の離乳食講座は5年で3000人が受講。黄金色のかつお昆布だしから作られる「和の離乳食」を推奨している。

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