「フィールドアグリオミクス」により微生物と共生する農業へ 〜理化学研究所 市橋泰範氏 後編

国立研究開発法人理化学研究所のバイオリソース研究センターで、「植物-微生物共生研究開発チーム」のチームリーダーとして「アーバスキュラー菌根菌」を研究している市橋泰範さんへのインタビュー

最終回となる後編では、世界の土壌が置かれている問題、土壌だけではないこれからの土壌分析のあり方、「フィールドアグリオミクス」についてうかがいました。

市橋泰範(いちはしやすのり)
国立研究開発法人 理化学研究所
バイオリソース研究センター 植物-微生物共生研究開発チーム
チームリーダー 理学博士


土壌、植物、微生物を解析する「フィールドアグリオミクス」とは

——先生が研究されている「フィールドアグリオミクス」とはどのようなものなのでしょうか?

ドイツの科学者のリービッヒが、無機栄養説を唱えたのは1840年のことでした。以来、土壌の成分を分析して、足りない成分を化学肥料で補充するという、近代農法の基礎が築かれました。

一方、昔から日本で伝統的に行われていた伝統的な農業には、有機質や微生物資材が利用されていますが、とにかく複雑で、端的に説明できない事象が多いのです。

これまで農学の教科書は、とにかく作物を育てるには無機態のNPK(窒素、リン、カリ)が必要で、それが不足したら成分ごとに単肥を追加すると教えてきたのですが、実際に現場へ行っていろいろ測ってみると、それだけでは説明しきれない現象が至るところで起こっているのがわかります。

そこで我々は、国家プロジェクト(SIP)の中で「フィールドアグリオミクス」という試みを始めました。「オミクス」とは、特定の事象をありとあらゆる方法で、網羅的に解析することを意味しています。


温度、湿度、水分量、明るさ、pH、EC、無機態窒素等の土壌成分……これまで土壌診断で測定できる項目は、せいぜい30前後でした。

しかし実際に農業生態系で動いている要素は、少なくとも数万以上あるといわれています。それを30項目だけで説明しろといわれても、土台無理なのです。

先入観を取り払い、ジャンルの垣根を越え、多面的に土壌や植物、微生物の世界を分析していくことで、より解像度の高い調査ができるようになりました。これまでぼやけて見えていた農業生態系全体の解像度が、ぐっと上がりつつあります。

——まだ測定できない項目もあるのですか?

はい。まだ測れない項目が見つかったら、それを測れるセンサーを開発することも必要です。それができて初めて「見える化」できるのです。

これから生まれるのは、微生物そのものがセンサーになる「バイオセンサー」ではないかと。土壌で何かが起きた時、微生物も反応しているからです。


世界の土壌は病んでいる。では、日本は?

国連食糧農業機関FAO)」の発表によると、世界の土壌はいま、25%が著しく劣化していて、44%は中程度劣化しているそうです。世界的に見ても土壌環境はよくありません。

一方、世界で21カ国58地域認定されている世界農業遺産のうち、36地域がアジア、うち11地域が日本にあります(2019年11月現在)。世界中を見渡しても、日本は特段に多い。それぞれの地域が資源循環型の土づくりを大切にしている。日本の土の中で、微生物がすごく頑張っているといえるのだと思います。

そこには、農薬や化学肥料が登場するずっと前から日本人が築き上げてきた匠の技があり、微生物のはたらきがそれを支えているはず。そんな伝統農業にサイエンスのメスを入れて、いいところを伸ばしていく──。

土の中は非常に複雑ですが、最先端の科学技術によって、日本の強みである土づくりを、食のサステナビリティにつなげる。そんな活動をしていきたいと考えています。

世界農業遺産の分布

——他ジャンルの研究者や企業との連携も進んでいますね。

そうですね。新しい農業を打ち出すには、経済的な波及効果も視野に入れなければなりません。

産業廃棄物を捨てたいけれど、お金がかかる。でもそれが土づくりに使える素材であれば、農業資材として販売できる。今後は、そんな循環を促進するビジネスが必要です。

たとえば、農業環境をエンジニアリングできるシステム……少なくともそのプロトタイプを開発するために、農業現場でいろんなデータをとります。さらに、多くの企業に参画していただいて、新しい微生物資材や産業廃棄物を利用した堆肥を開発したり、農業診断サービスとメーカーがタッグを組んで、土づくりのガイド、ツール、土壌診断をするなど、農業関連以外の企業が農業分野に投資できるようなシステムを構築する。これまで思いも寄らなかったような化学反応を起こしていきたいと考えています。

これまで企業はどうしても独自の技術を囲い込みがちでした。しかし私は、農学やアグリビジネスに、オープンイノベーション的な考え方を持ち込んで、IT企業がやっているハッカソンのような「バイオハッカソン」を実現したいのです。

会社の枠を飛び越えて、他社の技術と融合させて、新たな刺激となる……そんな国家プロジェクトにしたいと考えています。


微生物と共生する、21世紀型の緑の革命を

——微生物と共生する新しい農業は、いつごろ実現しそうですか?

世界に目を転じると、微生物を組み入れた取り組みはもう始まっています。

某多国籍な種苗会社は、「プラント・マイクロバイオーム」といって、あらゆる圃場から有用な微生物を集めて研究を進めています。そこにはシードコーティング専門の部署があって、種子の周りに微生物を付着させることで、蒔いた直後に動き出す、すでにそんな取り組みも始まっているのです。

2010年に動植物の多様性を守る「名古屋議定書」が採択されてから、微生物の輸出入が難しくなっています。これからは国内のビジネスを守ろうと思ったら、国内の微生物も守らなければなりません。

持続可能な循環型社会を実現する「農業環境エンジニアシステム」開発を目指す「SIP」の国家プロジェクトは、「豊かな土を作って人々を健康に」が合言葉で、5年で成果を出さねばなりません。

その間にプロトタイプができて、いろんな資材が出てくると思います。農業診断のビジネスも始まって、データが蓄積されていけば、10年、15年先には、土壌分析の解像度がさらに上がっていくはずです。

その成果をゆくゆくは世界にも広げたい。この枠組みをまずアジアへ、JICAともコラボして、発展途上国といわれる国で、日本の農の匠の技をちゃんと「見える化」させて、他の国でも使える形にしていきたいのです。その地域のデータも蓄積しながら、さらに高度な農業を実現したい。

土を劣化させるのではなく、微生物と共生しながら「土から産み、土に還す」農業を、さらに「21世紀型の緑の革命」を実現させていきたいと思います。


理化学研究所 バイオリソース研究センター
https://ja.brc.riken.jp/

【コラム】スマート農業研究第一人者に聞く「スマート農業最前線」
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  1. 加藤拓
    加藤拓
    筑波大学大学院生命環境科学研究科にて博士課程を修了。在学時、火山噴火後に徐々に森が形成されていくにつれて土壌がどうやってできてくるのかについて研究し、修了後は茨城県農業総合センター農業研究所、帯広畜産大学での研究を経て、神戸大学、東京農業大学へ。農業を行う上で土壌をいかに科学的根拠に基づいて持続的に利用できるかに関心を持って研究を行っている。
  2. 槇 紗加
    槇 紗加
    1998年生まれ。日本女子大卒。レモン農家になるため、大学卒業直前に小田原に移住し修行を始める。在学中は、食べチョクなど数社でマーケティングや営業を経験。その経験を活かして、農園のHPを作ったりオンライン販売を強化したりしています。将来は、レモンサワー農園を開きたい。
  3. 沖貴雄
    沖貴雄
    1991年広島県安芸太田町生まれ。広島県立農業技術大学校卒業後、県内外の農家にて研修を受ける。2014年に安芸太田町で就農し2018年から合同会社穴ファームOKIを経営。ほうれんそうを主軸にスイートコーン、白菜、キャベツを生産。記録を分析し効率の良い経営を模索中。食卓にわくわくを地域にウハウハを目指し明るい農園をつくりたい。
  4. 田牧一郎
    田牧一郎
    日本で15年間コメ作りに従事した後、アメリカに移り、精米事業、自分の名前をブランド化したコメを世界に販売。事業売却後、アメリカのコメ農家となる。同時に、種子会社・精米会社・流通業者に、生産・精米技術コンサルティングとして関わり、企業などの依頼で世界12カ国の良質米生産可能産地を訪問調査。現在は、「田牧ファームスジャパン」を設立し、直接播種やIoTを用いた稲作の実践や研究・開発を行っている。
  5. 福田浩一
    福田浩一
    東京農業大学農学部卒。博士(農業経済学)。大学卒業後、全国農業改良普及支援協会に在籍し、普及情報ネットワークの設計・運営、月刊誌「技術と普及」の編集などを担当(元情報部長)。2011年に株式会社日本農業サポート研究所を創業し、海外のICT利用の実証試験や農産物輸出などに関わった。主にスマート農業の実証試験やコンサルなどに携わっている。 HP:http://www.ijas.co.jp/
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