岩見沢市におけるスマート農業は「技術」ではなく「経営戦略」【特集・北の大地の挑戦 第7回】

「すでに86件ですね」

北海道岩見沢市の企画財政部情報政策推進担当の黄瀬信之次長が挙げたこの数字は、スマート農業について行政として視察と講演を受けた2019年度の件数(11月末時点)。ほぼ2日に1回ペースである。ここ数年でその件数が急増して個別での対応が難しくなったため、前回紹介した合同視察会を開くことにしたのだ。

なぜそれほどまで大勢の農業関係者が訪れるのか。この問いを出発点にスマート農業の性質を新たな角度から眺めながら、それを成り立たせる要因について考察したい。

自動操舵装置


海外からも視察される岩見沢市の先端性とは

石狩平野に位置する北海道有数の水田農業地帯を2019年に訪れた名簿をみていくと、国内の団体や企業だけではなかった。

中国農業農村部長やタイ農業省、ドイツ連邦共和国議会議員も名を連ねている。目的はいずれも同じ、「スマート農業の最先端」を見聞するためだ。その実態を知るためにも、まずは岩見沢市における先端技術の導入の経緯を時系列に沿ってみていきたい。

岩見沢市がICTの活用を始めたのは1993年にさかのぼる。「市民生活の質の向上」と「地域経済の活性化」をテーマに、居住区域を全面的にカバーする光ファイバー網を自営で整備。これで遠隔地からの教育や医療のほか、児童の見守りに関するシステムの構築した。

行政面積の4割強が農地面積という市が、農業のスマート化に取りかかったのは2013年。同年1月、市の後押しを受けて、109戸の農家が「いわみざわ地域ICT農業利活用研究会」(会員数は現在187人)を設立した。4月には市がRTK‐GNSSの基地局と気象観測装置を設置する。

このうち前者はGPSガイダンスシステムと自動操舵装置の導入を一気に進めさせた。市内の農家戸数は水稲以外も含めて約900戸。このうち両方の技術を取り入れたのは、2019年3月時点で150戸に達する。市の調査では、その効果としてトラクターによる作業の重複が減り、労働時間は耕起と整地で2割減った。加えて直進時の作業速度は北海道平均より2割高まったという。後者については市内13カ所に設置。50mメッシュの気象データとそれを踏まえた営農情報を提供している。対象の品目は水稲、小麦、タマネギ。

こうして岩見沢市はハードとソフトの両面において、農業だけではなく生活についてもスマート化を推進する体制を整えてきた。


スマート化の前提は「技術」ではなく「経営戦略」

以上の経緯で強調したいのは、市がRTK‐GNSSの基地局を設立する前、じつは一人の農家が自らの農作業の高度化のために独自に補正アンテナを立てていたということである。

市長がその農家を視察した際、GPSガイダンスシステムと自動操舵装置の効果について説明を受けた。これが市によるRTK‐GNSSの基地局の設置や「いわみざわ地域ICT農業利活用研究会」の設立につながる。

GPSガイダンスシステム

研究会では農家が中心になり、農業に関する課題の整理とその対策のための先端技術の試験や普及を進めてきた。つまり岩見沢市のスマート農業には農家が経営戦略の一環で自主自立に取り組んできたことが根幹にある。それを産学官が支援してきた。

前回紹介した事業もそうした流れの中で採択されたもの。前提とが「技術」ではなく「経営戦略」である点が大事なのだ。黄瀬次長いわく「視察に来る人たちの主な関心は“どんな技術を入れたか”よりも、それを農家が“どう使い切ろうとしているか”」というのもそのためだろう。

岩見沢市のスマート化にはもう一つ特徴がある。それは先ほど簡単に触れた通り、農村の産業だけではなく生活を支えるものであることだ。「暮らしにくければ、離農して出て行ってしまう」と黄瀬次長。そうした事態を防ぐため、自営で設けた通信インフラを市民に活用してもらい、WEBで買い物の注文をしたり、デマンドタクシーを利用したりする体制を整えてきた。

岩見沢市のスマート化に関する取り組みは産業と生活をする人に寄り添ったサービスだと感じる。関連する事業が全国で始動する中、行政関係者には学んでもらいたい姿勢である。


【特集】北の大地の挑戦~スマート農業の先進地にみる可能性と課題
SHARE

最新の記事をFacebook・メールで
簡単に読むことが出来ます。

RANKING

WRITER LIST

  1. 田牧一郎
    田牧一郎
    日本で15年間コメ作りに従事した後、アメリカに移り、精米事業、自分の名前をブランド化したコメを世界に販売。事業売却後、アメリカのコメ農家となる。同時に、種子会社・精米会社・流通業者に、生産・精米技術コンサルティングとして関わり、企業などの依頼で世界12カ国の良質米生産可能産地を訪問調査。現在は、「田牧ファームスジャパン」を設立し、直接播種やIoTを用いた稲作の実践や研究・開発を行っている。
  2. 福田浩一
    福田浩一
    東京農業大学農学部卒。博士(農業経済学)。大学卒業後、全国農業改良普及支援協会に在籍し、普及情報ネットワークの設計・運営、月刊誌「技術と普及」の編集などを担当(元情報部長)。2011年に株式会社日本農業サポート研究所を創業し、海外のICT利用の実証試験や農産物輸出などに関わった。主にスマート農業の実証試験やコンサルなどに携わっている。 HP:http://www.ijas.co.jp/
  3. 石坂晃
    石坂晃
    1970年生まれ。千葉大学園芸学部卒業後、九州某県の農業職公務員として野菜に関する普及指導活動や果樹に関する品種開発に従事する一方で、韓国語を独学で習得する(韓国語能力試験6級取得)。2023年に独立し、日本進出を志向する韓国企業・団体のコンサル等を行う一方、自身も韓国農業資材を輸入するビジネスを準備中。HP:https://sinkankokunogyo.blog/
  4. 川島礼二郎
    川島礼二郎
    1973年神奈川県生まれ。筑波大学第二学群農林学類卒業。フリーラインスの編集ライターとして、テクノロジーをキーワードに、農業雑誌・自動車雑誌などで執筆・編集活動中。
  5. 堀口泰子
    堀口泰子
    栄養士、食アスリートシニアインストラクター、健康・食育シニアマスター。フィットネスクラブ専属栄養士を経て独立。アスリートの食事指導や栄養サポートの他、離乳食から介護予防まで食を通じて様々な食育活動を行う。料理家としても活動し、レシピ提案、商品開発も担う。食事は楽しく、気負わず継続できる食生活を伝えることを信条とする。スポーツの現場ではジュニアの育成、競技に向き合うための心と体の成長に注力している。HP:https://eiyoushiyakko.jimdofree.com/
パックごはん定期便