人工衛星を使ったスマート農業の最前線とは? 〜宇宙航空研究開発機構(JAXA)
農業と宇宙……あまり関係がないように感じられる両者だが、実は農業分野において、生育分析や圃場分析のための画像取得や、ロボット農機等の位置情報取得などに人工衛星が使われている。
一方で、一般の生産者では容易に人工衛星等にアクセスできないこともあり、この“農業と宇宙”との関連性を実感し難いのも、また事実である。どちらかというとドローンやカメラなどを使ったミクロなリモートセンシングの方が、スマート農業というと一般的だろう。
そこで今回は、日本において宇宙航空分野の開発・利用を進めている宇宙航空研究開発機構(JAXA)、地球観測研究センター主任研究開発員の大吉慶(おおよし けい)氏に、農業における宇宙技術活用の現状と将来展望を説明していただいた。夢の技術に思える人工衛星によるリモートセンシングはどんなもので、それが日本や世界の農業にどのように貢献してくれるのか。その実効性と課題を整理してみたい。
大吉:人工衛星というと、通信衛星や測位衛星、惑星探査衛星、などさまざまな種類がありますが、地球を観測することを目的とした地球観測衛星の基礎をまずお話しします。
そもそも、人工衛星は農業監視のためだけに打ち上げているわけではありません。一般の方に馴染み深い人工衛星は気象衛星とかはやぶさ2などに代表される科学衛星でしょうし、偵察や軍事目的で使われることもあります。農業で活用できる画像データを提供する人工衛星は、主には「地球観測衛星」と呼ばれます。JAXAが開発・運用する地球観測衛星は、災害対策・国土強靭化や地球規模課題の解決へ貢献することを主目的としております。
この地球観測衛星を使うと、ドローンやヘリコプターでは行けないようなアクセス困難地域も含めて、極めて広域にわたるデータを取得できます。また、繰り返し定期的かつ均質な観測が可能なのも、地球観測衛星のメリットです。
JAXAでは複数の地球観測衛星を打ち上げて運用していますが、それぞれに特徴があります。衛星はセンサを搭載しているわけですが、そのセンサで取得できる情報は、
1. 波長:何を見るか
2. 時間分解能:同一地点をどれだけの頻度で見るか
3. 空間分解能:どれだけ細かく見るか
といったものです。それぞれの衛星から得られた生データは、ポンと何かに利用できるわけではありません。利用目的に応じてデータを解析したりしたり組み合わせたりすることで、人にとって有益な情報になる、ということなんです。
——波長・時間分解能・空間分解能について、もう少し詳しく教えてください。
大吉:こちらの図が、農業分野において、波長の種類と取得できる情報の例です。光学センサ・熱赤外センサ・マイクロ波放射計・レーダにより、これだけの物理量・情報を得ることができるのです。
「時間分解能」というのは、同一地点をどれだけの頻度で見るか、という意味の指標で、「空間分解能」とトレードオフの関係にあります。衛星1機の場合、ある程度の「空間分解能」のあるデータを取得しようとすると、「時間分解能」は下がってしまうのです。
例えば、1機の衛星で1mを切るような圃場の生育状況は、衛星の性能として40日に一度程度しか見ることができません。これでは作物の生育状況を見る場合は、明らかに頻度不足です。観測頻度を増やすために、小さな衛星を数十機・数百機打ち上げて数で対応しようとしている企業等もあるんですよ。さらにこのような衛星データを活用してスマート農業に関連したサービスを提供している企業もあります。
ですから、最初に言われた「ドローンを使えばいいじゃないか」というのは、地球観測衛星もドローンも、適材適所で使い分けをすればいい、ということです。局所的に見るだけなら、ドローンやヘリコプターで問題ありません。ただ、南アジアとか東南アジア、さらには地球規模というスケールで農地を観測するには、衛星が取得したデータの方が適しているのです。
大吉:その前に、農業における衛星活用について、少し背景をお話ししましょう。
頭に入れておいていただきたいのは、日本と世界の食料事情です。
ご存じの通り、日本の食料自給率はカロリーベースで40%未満であり、食料の多くを海外からの輸入に頼っている現状があります。一方で世界に目を向けると、世界人口の約1割の8億人が栄養不足の状態です。
さらに将来に目を向けると、2050年までに今より50%も多くの食料が必要になると言われています。現在と未来における日本と世界の食糧事情を鑑みつつ、世界の食料安全保障の確立に貢献できるように、私たちJAXAは基盤技術を開発しています。
——これまで取材してきたスマート農業に取り組む企業の多くは、日本農業に固有の課題、つまり農業従事者の減少と高齢化の同時進行という課題の解決を目指していましたが、JAXAのスケールは桁違いに大きいですね。具体的にはどのようなことを行っているのでしょうか?
大吉:私たちが地球観測衛星の農業活用で行っている目標は、それぞれが相互に関連しておりますが、主に3つあります。
ひとつ目は「食料安全保障」。これは日本をはじめとした各国政府や国際機関と連携して行っています。
具体的には、どこでどんな作物が栽培されているのか、それらの生育状態やいつ、どれだけの収穫が予想されるのか、といった事柄を監視して予測する研究・開発です。これは国内だけでなく、FAO(国際連合食糧農業機関)など、国外の研究機関や政府機関等と協力して取り組んでいます。
ふたつ目は、「気候変動」への対応のための利用です。JICA(国際協力機構)やADB(アジア開発銀行)といった国内外の機関と共同で取り組んでいます。
たとえば東南アジアでは、雨季には作付けできますが、乾期にはほとんど耕作できていないのが現状です。また、気候変動の影響で干ばつや洪水の頻度が増加しており、雨水のみに頼る天水農業では、生産量が変動しやすいという課題があります。さらに、アジアの主要穀物である水稲は水を多く消費する作物であり、水資源の利用可能性が重要であり、灌漑施設を開発することで増産や安定した生産が可能となります。
そのためにどこに灌漑設備を作ればいいのか、あるいは事後評価として灌漑施設を作ったことでどれだけ作付けできるようになったのか、といった事柄を衛星を活用して把握しようとしています。もちろん「ここは耕作適地になりそう」という評価にも衛星画像を利用することができます。
そして最後は、「農業ビジネス目的での衛星データの利用」です。JAXAのデータを民間企業に提供したり、民間企業と共同で前述した2つの事項で開発した技術のビジネス利用を検討しています。データは無償のものがほとんどですが、有償での提供となってるものもあります。
大吉:現在JAXAで運用している地球観測衛星は大きく3タイプあり、それぞれ得意分野が異なります。
ひとつ目は、災害や資源監視を主目的として、高空間分解での観測が可能な「高空間分解能衛星」です。「だいち2号」(ALOS-2)などがこれに該当し、搭載するLバンド合成開口レーダ(PALSAR-2)の観測データから、水稲の作付面積を推定するソフトウェア「INAHOR(稲穂)」(International Asian Harvest monitoring system for Rice)を開発しました。
東南アジアでは、主に水稲が作付けされる雨季は雲に覆われていることが多いのですが、合成開口レーダは雲の有無に関係なく作付け状況を把握することができるのです。東南アジアの国々の研究機関や農業省との共同研究を行っており、農業統計の作成に活用しようとしております。
東南アジアの国々では、ヒアリング調査であることや、作付け回数が年に2-3回であって統計の作成に非常に労力がかかることから、作付け面積を正確に把握するのが簡単ではありません。そこで、各国の農業統計官にこのソフトウェアを活用してもらい、農業統計データを効率的かつ正確に収集できるようにしているのです。
次に、気候変動監視を主目的として、空間分解能は粗いものの、毎日もしくは数日おきに地球全体を観測することができる「環境監視衛星」というタイプ。例えば「しきさい」(GCOM-C)や、「しずく」(GCOM-W)という地球観測衛星で、名前から想像できるように、気候変動や水循環を把握するのに活用しています。これらの衛星の取得画像を主に利用して構築したのが、水稲の作況を判断するための農業気象情報提供システム「JASMIN」です。
JASMINとは、「JAXA's Satellite based MonItoring Network system for FAO AMIS outlook」の頭文字で、作物の生育の良否は光、温度、水環境といった気象に左右されます。ですから、環境監視衛星で気象を広域かつタイムリーに把握できれば、国家レベルの広大なスケールで作況を判断できるようになります。
そこで構築したのが、地球観測衛星で取得した降水量、土壌水分量、日射量、干ばつ指数などをウェブ上で見ることができる「JASMIN」です。東アジア・南アジア・東南アジアの気象状況をリアルタイムで提供しており、データは半月ごとに最新のものに更新されます。
これにより現況を知ることができるほか、過去20年分程度のアーカイブと比較することで平年との比較も可能になります。国連食糧農業機関(Food and Agriculture Organization: FAO)などが運用する農業市場情報システム(Agriculture Market Information System: AMIS)に提供される水稲作況情報の作成にも利用されています。また、ウェブを通じて農水省に海外の主要耕作地の気象情報などを提供しており、同省で毎月発行されている海外食料需給レポートにも提供データが活用されています。
最後のひとつが、「温室効果ガス観測技術衛星」です。これは環境省・環境研との共同プロジェクトになり、二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスの濃度を宇宙から計測しております。これらはこれまで地上の計測装置で観測されてきましたが、宇宙から客観的にかつ均質的な計測が可能となるので、温室効果ガス排出の削減に貢献することが期待されています。
大吉:JAXAの地球観測衛星は、災害監視や気候変動観測を主目的としたものであるため、現在のところは直接的に生産者さんに利用していただくようなものではありませんが、より広い意味で日本や世界の食料問題や環境問題解決の一助となっていると自負しています。
農業に活用できる宇宙からのデータは、今後どんどん増えていくと考えています。高頻度での高空間分解能データも、データ量やコストの面で現在よりも使いやすくなっていくでしょう。大切なのは、そのようなデータをどうやって有用な情報に変換し、どのように成果につなげていくか、ということです。
それに資するブレイクスルーとして私たちが必要だと考えているもののひとつは、作付け時期や収穫時期、収穫量などの現場のデータです。この地点にある作物を作付けし、この気象条件でこれだけ収穫できた、といったような農業現場の詳細なデータが不足しています。大量の衛星データが利用できるようになりつつありますが、衛星データと組み合わせて利用する現場のデータがまだまだ不足しています。
これらのデータをAIに学習させていきたいのですが、例えば、世界の主要穀物の収穫量ですと、オープンデータとして容易に活用できるのは、現在は国単位くらいしか統計データがありません。こういった収穫量などに関する統計データが、より詳細に収集、整備されるされるようになると、衛星データと組み合わせて、実際の農地の耕作状況や生育状況、収穫量などの推定精度が向上し、さまざまな利用の可能性が広がります。
一方で、宇宙技術の農業での利用は、宇宙技術だけが進化してもあまり意味がありません。収穫量推定を例として考えますと、収量予測モデルを作る人、現場データの効率的な取得手法を開発する人、これらの情報をもとに政策判断する政府機関、実際に農業生産を行う現場の方などさまざまなセクターの協力も必要不可欠です。そのためには、衛星データ利用者のコミュニティを拡大して活発化することが大切です。
いま、世界のどこで、何が、どのように育てられていて、その生育状態はどうなっていて、収穫がどうなるのか──それをリアルタイムで把握できるようになるのが、地球観測衛星を活用した未来の農業のひとつの姿かと考えています。
気候変動の影響などによる干ばつや洪水などの極端現象がここで発生して収穫量がどれくらい変動しそうかなども、将来的にはリアルタイムで把握できるようになると思います。それができれば、世界の食料配分の最適化や食料不足の解消を通じて、地球規模課題の解決やSDGsの達成にも貢献できます。私たちJAXAは、そうした国内外の農業に関わる問題解決に向けて貢献していきたいと考えています。
ドローンなどを用いた狭い範囲の生育状況や病害虫被害を検出する機能を、人工衛星によって日本全土にまで拡大して診断に利用することは現実的に難しい。宇宙からの観測のみでは、現実に圃場で起きている状態の変化にまで対応できないからだ。
しかし、ひとりひとりの生産者が培ってきた知識や経験、その成果としての収穫量などのデータを人工衛星から得られるデータと組み合わせることで、栽培効率を上げたり、足りない労働力を補ったり、新しい人材がより短時間で栽培技術を習得することにもつながっていく。
地球規模の農業を支援すべく日夜研究しているJAXA。その取り組みが、きっとそう遠くない将来、直接生産者にメリットをもたらすことになるはずだ。
宇宙航空研究開発機構
https://www.jaxa.jp/
宇宙航空研究開発機構 地球観測研究センター
https://www.eorc.jaxa.jp/
宇宙航空研究開発機構 第一宇通技術部門 サテライトナビゲーター
https://www.satnavi.jaxa.jp/
国連食糧農業機関(FAO)との地球観測衛星データ等の利用に関する協定の締結
https://www.jaxa.jp/press/2020/01/20200123-1_j.html
一方で、一般の生産者では容易に人工衛星等にアクセスできないこともあり、この“農業と宇宙”との関連性を実感し難いのも、また事実である。どちらかというとドローンやカメラなどを使ったミクロなリモートセンシングの方が、スマート農業というと一般的だろう。
そこで今回は、日本において宇宙航空分野の開発・利用を進めている宇宙航空研究開発機構(JAXA)、地球観測研究センター主任研究開発員の大吉慶(おおよし けい)氏に、農業における宇宙技術活用の現状と将来展望を説明していただいた。夢の技術に思える人工衛星によるリモートセンシングはどんなもので、それが日本や世界の農業にどのように貢献してくれるのか。その実効性と課題を整理してみたい。
地球観測衛星で農業の何がわかるのか?
——JAXAの宇宙技術の農業への活用の前に、素人考えでは、人工衛星を使わなくてもドローンやヘリコプターでデータを取得することができるのでは……と思ってしまいます。農業においてどのように人工衛星を使うのでしょうか?大吉:人工衛星というと、通信衛星や測位衛星、惑星探査衛星、などさまざまな種類がありますが、地球を観測することを目的とした地球観測衛星の基礎をまずお話しします。
そもそも、人工衛星は農業監視のためだけに打ち上げているわけではありません。一般の方に馴染み深い人工衛星は気象衛星とかはやぶさ2などに代表される科学衛星でしょうし、偵察や軍事目的で使われることもあります。農業で活用できる画像データを提供する人工衛星は、主には「地球観測衛星」と呼ばれます。JAXAが開発・運用する地球観測衛星は、災害対策・国土強靭化や地球規模課題の解決へ貢献することを主目的としております。
この地球観測衛星を使うと、ドローンやヘリコプターでは行けないようなアクセス困難地域も含めて、極めて広域にわたるデータを取得できます。また、繰り返し定期的かつ均質な観測が可能なのも、地球観測衛星のメリットです。
JAXAでは複数の地球観測衛星を打ち上げて運用していますが、それぞれに特徴があります。衛星はセンサを搭載しているわけですが、そのセンサで取得できる情報は、
1. 波長:何を見るか
2. 時間分解能:同一地点をどれだけの頻度で見るか
3. 空間分解能:どれだけ細かく見るか
といったものです。それぞれの衛星から得られた生データは、ポンと何かに利用できるわけではありません。利用目的に応じてデータを解析したりしたり組み合わせたりすることで、人にとって有益な情報になる、ということなんです。
——波長・時間分解能・空間分解能について、もう少し詳しく教えてください。
大吉:こちらの図が、農業分野において、波長の種類と取得できる情報の例です。光学センサ・熱赤外センサ・マイクロ波放射計・レーダにより、これだけの物理量・情報を得ることができるのです。
「時間分解能」というのは、同一地点をどれだけの頻度で見るか、という意味の指標で、「空間分解能」とトレードオフの関係にあります。衛星1機の場合、ある程度の「空間分解能」のあるデータを取得しようとすると、「時間分解能」は下がってしまうのです。
例えば、1機の衛星で1mを切るような圃場の生育状況は、衛星の性能として40日に一度程度しか見ることができません。これでは作物の生育状況を見る場合は、明らかに頻度不足です。観測頻度を増やすために、小さな衛星を数十機・数百機打ち上げて数で対応しようとしている企業等もあるんですよ。さらにこのような衛星データを活用してスマート農業に関連したサービスを提供している企業もあります。
ですから、最初に言われた「ドローンを使えばいいじゃないか」というのは、地球観測衛星もドローンも、適材適所で使い分けをすればいい、ということです。局所的に見るだけなら、ドローンやヘリコプターで問題ありません。ただ、南アジアとか東南アジア、さらには地球規模というスケールで農地を観測するには、衛星が取得したデータの方が適しているのです。
JAXAはグローバルな農業の課題に取り組む
——地球観測衛星がどのようなものなのかは、ようやく理解できました。では、それらの衛星から得られたデータは、どのように農業に生かされているのでしょうか?大吉:その前に、農業における衛星活用について、少し背景をお話ししましょう。
頭に入れておいていただきたいのは、日本と世界の食料事情です。
ご存じの通り、日本の食料自給率はカロリーベースで40%未満であり、食料の多くを海外からの輸入に頼っている現状があります。一方で世界に目を向けると、世界人口の約1割の8億人が栄養不足の状態です。
さらに将来に目を向けると、2050年までに今より50%も多くの食料が必要になると言われています。現在と未来における日本と世界の食糧事情を鑑みつつ、世界の食料安全保障の確立に貢献できるように、私たちJAXAは基盤技術を開発しています。
——これまで取材してきたスマート農業に取り組む企業の多くは、日本農業に固有の課題、つまり農業従事者の減少と高齢化の同時進行という課題の解決を目指していましたが、JAXAのスケールは桁違いに大きいですね。具体的にはどのようなことを行っているのでしょうか?
大吉:私たちが地球観測衛星の農業活用で行っている目標は、それぞれが相互に関連しておりますが、主に3つあります。
ひとつ目は「食料安全保障」。これは日本をはじめとした各国政府や国際機関と連携して行っています。
具体的には、どこでどんな作物が栽培されているのか、それらの生育状態やいつ、どれだけの収穫が予想されるのか、といった事柄を監視して予測する研究・開発です。これは国内だけでなく、FAO(国際連合食糧農業機関)など、国外の研究機関や政府機関等と協力して取り組んでいます。
ふたつ目は、「気候変動」への対応のための利用です。JICA(国際協力機構)やADB(アジア開発銀行)といった国内外の機関と共同で取り組んでいます。
たとえば東南アジアでは、雨季には作付けできますが、乾期にはほとんど耕作できていないのが現状です。また、気候変動の影響で干ばつや洪水の頻度が増加しており、雨水のみに頼る天水農業では、生産量が変動しやすいという課題があります。さらに、アジアの主要穀物である水稲は水を多く消費する作物であり、水資源の利用可能性が重要であり、灌漑施設を開発することで増産や安定した生産が可能となります。
そのためにどこに灌漑設備を作ればいいのか、あるいは事後評価として灌漑施設を作ったことでどれだけ作付けできるようになったのか、といった事柄を衛星を活用して把握しようとしています。もちろん「ここは耕作適地になりそう」という評価にも衛星画像を利用することができます。
そして最後は、「農業ビジネス目的での衛星データの利用」です。JAXAのデータを民間企業に提供したり、民間企業と共同で前述した2つの事項で開発した技術のビジネス利用を検討しています。データは無償のものがほとんどですが、有償での提供となってるものもあります。
JAXAの宇宙技術の農業への活用事例
——地球観測衛星を活用する目的、利用方法の概要は理解できました。食糧安全保障、気候変動への対応、それに農業ビジネスでの活用ということですね。そこで使われる地球観測衛星とは、どのようなものなのでしょうか?大吉:現在JAXAで運用している地球観測衛星は大きく3タイプあり、それぞれ得意分野が異なります。
ひとつ目は、災害や資源監視を主目的として、高空間分解での観測が可能な「高空間分解能衛星」です。「だいち2号」(ALOS-2)などがこれに該当し、搭載するLバンド合成開口レーダ(PALSAR-2)の観測データから、水稲の作付面積を推定するソフトウェア「INAHOR(稲穂)」(International Asian Harvest monitoring system for Rice)を開発しました。
東南アジアでは、主に水稲が作付けされる雨季は雲に覆われていることが多いのですが、合成開口レーダは雲の有無に関係なく作付け状況を把握することができるのです。東南アジアの国々の研究機関や農業省との共同研究を行っており、農業統計の作成に活用しようとしております。
東南アジアの国々では、ヒアリング調査であることや、作付け回数が年に2-3回であって統計の作成に非常に労力がかかることから、作付け面積を正確に把握するのが簡単ではありません。そこで、各国の農業統計官にこのソフトウェアを活用してもらい、農業統計データを効率的かつ正確に収集できるようにしているのです。
次に、気候変動監視を主目的として、空間分解能は粗いものの、毎日もしくは数日おきに地球全体を観測することができる「環境監視衛星」というタイプ。例えば「しきさい」(GCOM-C)や、「しずく」(GCOM-W)という地球観測衛星で、名前から想像できるように、気候変動や水循環を把握するのに活用しています。これらの衛星の取得画像を主に利用して構築したのが、水稲の作況を判断するための農業気象情報提供システム「JASMIN」です。
JASMINとは、「JAXA's Satellite based MonItoring Network system for FAO AMIS outlook」の頭文字で、作物の生育の良否は光、温度、水環境といった気象に左右されます。ですから、環境監視衛星で気象を広域かつタイムリーに把握できれば、国家レベルの広大なスケールで作況を判断できるようになります。
そこで構築したのが、地球観測衛星で取得した降水量、土壌水分量、日射量、干ばつ指数などをウェブ上で見ることができる「JASMIN」です。東アジア・南アジア・東南アジアの気象状況をリアルタイムで提供しており、データは半月ごとに最新のものに更新されます。
これにより現況を知ることができるほか、過去20年分程度のアーカイブと比較することで平年との比較も可能になります。国連食糧農業機関(Food and Agriculture Organization: FAO)などが運用する農業市場情報システム(Agriculture Market Information System: AMIS)に提供される水稲作況情報の作成にも利用されています。また、ウェブを通じて農水省に海外の主要耕作地の気象情報などを提供しており、同省で毎月発行されている海外食料需給レポートにも提供データが活用されています。
最後のひとつが、「温室効果ガス観測技術衛星」です。これは環境省・環境研との共同プロジェクトになり、二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスの濃度を宇宙から計測しております。これらはこれまで地上の計測装置で観測されてきましたが、宇宙から客観的にかつ均質的な計測が可能となるので、温室効果ガス排出の削減に貢献することが期待されています。
宇宙技術の農業活用はより一般的になっていく
——個人の経験や知見だけで営農していた農業は、急速にデータやICTなどを活用したスマート農業に進化していっています。20年、30年先の将来、日本における宇宙技術の農業利用はどのようになっていくと予想されますか?大吉:JAXAの地球観測衛星は、災害監視や気候変動観測を主目的としたものであるため、現在のところは直接的に生産者さんに利用していただくようなものではありませんが、より広い意味で日本や世界の食料問題や環境問題解決の一助となっていると自負しています。
農業に活用できる宇宙からのデータは、今後どんどん増えていくと考えています。高頻度での高空間分解能データも、データ量やコストの面で現在よりも使いやすくなっていくでしょう。大切なのは、そのようなデータをどうやって有用な情報に変換し、どのように成果につなげていくか、ということです。
それに資するブレイクスルーとして私たちが必要だと考えているもののひとつは、作付け時期や収穫時期、収穫量などの現場のデータです。この地点にある作物を作付けし、この気象条件でこれだけ収穫できた、といったような農業現場の詳細なデータが不足しています。大量の衛星データが利用できるようになりつつありますが、衛星データと組み合わせて利用する現場のデータがまだまだ不足しています。
これらのデータをAIに学習させていきたいのですが、例えば、世界の主要穀物の収穫量ですと、オープンデータとして容易に活用できるのは、現在は国単位くらいしか統計データがありません。こういった収穫量などに関する統計データが、より詳細に収集、整備されるされるようになると、衛星データと組み合わせて、実際の農地の耕作状況や生育状況、収穫量などの推定精度が向上し、さまざまな利用の可能性が広がります。
一方で、宇宙技術の農業での利用は、宇宙技術だけが進化してもあまり意味がありません。収穫量推定を例として考えますと、収量予測モデルを作る人、現場データの効率的な取得手法を開発する人、これらの情報をもとに政策判断する政府機関、実際に農業生産を行う現場の方などさまざまなセクターの協力も必要不可欠です。そのためには、衛星データ利用者のコミュニティを拡大して活発化することが大切です。
いま、世界のどこで、何が、どのように育てられていて、その生育状態はどうなっていて、収穫がどうなるのか──それをリアルタイムで把握できるようになるのが、地球観測衛星を活用した未来の農業のひとつの姿かと考えています。
気候変動の影響などによる干ばつや洪水などの極端現象がここで発生して収穫量がどれくらい変動しそうかなども、将来的にはリアルタイムで把握できるようになると思います。それができれば、世界の食料配分の最適化や食料不足の解消を通じて、地球規模課題の解決やSDGsの達成にも貢献できます。私たちJAXAは、そうした国内外の農業に関わる問題解決に向けて貢献していきたいと考えています。
※ ※ ※
ドローンなどを用いた狭い範囲の生育状況や病害虫被害を検出する機能を、人工衛星によって日本全土にまで拡大して診断に利用することは現実的に難しい。宇宙からの観測のみでは、現実に圃場で起きている状態の変化にまで対応できないからだ。
しかし、ひとりひとりの生産者が培ってきた知識や経験、その成果としての収穫量などのデータを人工衛星から得られるデータと組み合わせることで、栽培効率を上げたり、足りない労働力を補ったり、新しい人材がより短時間で栽培技術を習得することにもつながっていく。
地球規模の農業を支援すべく日夜研究しているJAXA。その取り組みが、きっとそう遠くない将来、直接生産者にメリットをもたらすことになるはずだ。
宇宙航空研究開発機構
https://www.jaxa.jp/
宇宙航空研究開発機構 地球観測研究センター
https://www.eorc.jaxa.jp/
宇宙航空研究開発機構 第一宇通技術部門 サテライトナビゲーター
https://www.satnavi.jaxa.jp/
国連食糧農業機関(FAO)との地球観測衛星データ等の利用に関する協定の締結
https://www.jaxa.jp/press/2020/01/20200123-1_j.html
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