農業が地域に果たす役割【地域づくり×農業ライター 藤本一志の就農コラム 第3回】

岡山県真庭市の兼業農家、藤本一志です。


5月、私の農場でもいよいよ農作業が始まりました。3回目となる今回からは、私の農場での作業の様子も交えながらお話しします。

今回は、農場のある私の生まれ育った地域の紹介と、農業が地域に果たす役割について考察していきます。


今年も米作りが始まった

私の農場のある岡山県岡山市の米作りのスタートは遅く、例年5月上旬です。この時期になると、トラクターが田んぼを耕す光景がちらほら見られるようになります。

私の家でも米作りが始まり、5月中旬には塩水選と種子消毒が行われました。

塩水選とは、米の種子を選別する作業です。種子を塩水に浸けて、浮かんだ種子を取り除き、沈んだ種子を播種用に分けます。

沈んだ種子の方が、胚乳と呼ばれる発芽から生育初期にかけて必要な栄養素を含む部分が多いため、発芽率が高くなります。良質な米を作るためには、まずは良質な種子選びから始めなくてはいけません。

塩水に沈んだ良質な種を洗う様子。塩分を落としている
塩水選を終えた種子は、いもち病やごま葉枯病などの病気の発生を防ぐために消毒をします。消毒の方法は、農薬の中に塩水選で分けた種子を24時間浸けこむというもの。

種子消毒の様子。農薬を混ぜ、水色になった液体に24時間浸ける
農薬を水に混ぜると水色になり、独特の臭いを放ちます。私は農薬に対しては「使ってもいい」というスタンスなので、特に抵抗はありません。しかし、使わないに越したことはないと思っているので、将来的には農薬を使わないで消毒する技術を導入したいと考えています。

消毒を終えた種子は乾燥させ、播種します。播種は5月下旬に行うので、その様子は次回にご紹介したいと思います。


農業をするために造られた私の故郷


ここで、私の農場がある地域、すなわち私の故郷について紹介したいと思います。

私の故郷は岡山県岡山市の興除(こうじょ)と呼ばれる地域です。ここら一帯は岡山県の中でも田んぼ1筆あたりの面積が特に大きく、用水路の区画整備が細かくされています。

興除地区を含む岡山平野一帯は、元々遠浅の海でした。中世以降、新田開発のために大規模な干拓事業が始まり、なんと昭和の時代まで、干拓は続きました。この長きにわたる干拓事業の中で生まれたのが、私の故郷である興除地区です。

干拓事業の中で水田の区画整備や、水の確保のための用水路の整備が行われました。その結果、興除地区をはじめとする干拓地は、岡山県を代表する稲作地帯となったのです。

用水路の様子。大小さまざまな用水路が網目状に整備されている。

農業が地域に果たす役割は「つなぐこと」

農業をするために干拓してできた興除地区ですが、そこで暮らす人々は時代の流れの中で、さまざまに農業の形態を変化させてきました。

干拓が終わった江戸時代後期から明治時代にかけては、当時一般的であった「農民」が多かったようです。時代が流れ高度経済成長期を迎えると、大規模に農地を集積した専業農家と、自分の土地で農業をしつつ働きに出る兼業農家に分かれはじめます。

おそらく、日本の稲作農家の形態の、最も一般的な変遷を遂げてきた地域だと考えられます。現在では専業農家への農地集積が進んではいるものの、未だに多くの兼業農家が存在します。

農業の形は変わっても、稲作という根本の部分はブレずに、先人から受け継がれてきたのが、今の興除地区の姿です。

なぜ、稲作という軸がぶれなかったのか。

それは、この地域で稲作をすることで、「生きていけるから」だと私は考えます。

当たり前のことのように思えますが、これは非常に重要なことではないでしょうか。

よく、「この地域は○○の栽培が盛んです」といったことを耳にします。どうしてその作物が盛んなのか。それは、その地域が栽培に適した環境であり、その作物を栽培することで収入が得られ、生活ができるからです。

農業で生活ができることがわかれば、当然農業を始める人が増えますし、さらには次の世代も農業に従事しようとする流れができます。そして、代々農業が受け継がれ、その地域の風土が作られます。

農業はほかの産業と違い、天候や環境の変化に影響を受けるため、古くから地域固有の祭りなどの文化が生まれました。五穀豊穣を祈り、収穫に感謝する。これは農業でしか味わえないことで、それが地域の文化として定着していきます。

このように、農業にはその地域での生活を支え、地域の文化や風土を次世代につなぐ役割があります。私はこれを、「農業の地域性」と呼んでいます。興除地区では、稲作をすることで生活が成り立ったため、形はさまざまですが、未だに多くの稲作農家が存在します。

農業を通して世代が継承され、地域が持続していきます。


兼業農家という生き方をつなぐ

稲作の盛んな興除地区の兼業農家に生まれ、農業、中でも稲作に興味を持って取り組んでいる私の役割は、兼業農家としての生き方を次世代につなげることではないかと考えています。地域づくりの活動を通してさまざまな経験をし、農業以外にも楽しみを多く持ったことにより、そのような考えが生まれたのだと思います。

「興除地区では、米を作って、他に1つ2つ仕事を持てば生活は保障され、楽しく生きていけるよ。」

次世代の子どもたちに、そんな姿を見せられれば、興除という地域を次につなげられるのではないか。農業は、世代を超えて受け継がれることで地域をつなぐ、そんな産業だと思うのです。

塩水選の終わった種子。今年も稲作が始まろうとしている。

【農家コラム】地域づくり×農業ライター 藤本一志の就農コラム
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WRITER LIST

  1. よないつかさ
    1994年生まれ、神奈川県横浜市出身。恵泉女学園大学では主に有機栽培について学び、生活園芸士の資格を持つ。農協に窓口担当として5年勤め、夫の転勤を機に退職。アメリカで第一子を出産し、子育てをしながらフリーライターとして活動。一番好きな野菜はトマト(アイコ)。
  2. syonaitaro
    1994年生まれ、山形県出身、東京農業大学卒業。大学卒業後は関東で数年間修業。現在はUターン就農。通常の栽培よりも農薬を減らして栽培する特別栽培に取り組み、圃場の生産管理を行っている。農業の魅力を伝えるべく、兼業ライターとしても活動中。
  3. 槇 紗加
    1998年生まれ。日本女子大卒。レモン農家になるため、大学卒業直前に小田原に移住し修行を始める。在学中は、食べチョクなど数社でマーケティングや営業を経験。その経験を活かして、農園のHPを作ったりオンライン販売を強化したりしています。将来は、レモンサワー農園を開きたい。
  4. 沖貴雄
    1991年広島県安芸太田町生まれ。広島県立農業技術大学校卒業後、県内外の農家にて研修を受ける。2014年に安芸太田町で就農し2018年から合同会社穴ファームOKIを経営。ほうれんそうを主軸にスイートコーン、白菜、キャベツを生産。記録を分析し効率の良い経営を模索中。食卓にわくわくを地域にウハウハを目指し明るい農園をつくりたい。
  5. 田牧一郎
    日本で15年間コメ作りに従事した後、アメリカに移り、精米事業、自分の名前をブランド化したコメを世界に販売。事業売却後、アメリカのコメ農家となる。同時に、種子会社・精米会社・流通業者に、生産・精米技術コンサルティングとして関わり、企業などの依頼で世界12カ国の良質米生産可能産地を訪問調査。現在は、「田牧ファームスジャパン」を設立し、直接播種やIoTを用いた稲作の実践や研究・開発を行っている。