防除作業を通して考えた農薬の是非~私が農薬を受け入れられるようになるまで~【藤本一志の就農コラム 第9回】

岡山県真庭市の兼業農家、藤本一志です。


今年は梅雨が長かったため、岡山県では米の収量が落ちるのではないかと心配されています。

いもち病の発生や、進まない分げつ

8月の高温で少し盛り返したかと思いましたが、それでも生育の遅れは否めません。それでも、作物の生育をサポートする農家として、コツコツと作業を進めます。

さて、今回は「農薬」について、現段階での私の考えを記したいと思います。世間的にはさまざまな意見がありますが、あくまでいち農家の意見としてとらえていただけると幸いです。


田んぼに入っての防除作業


お盆が開けると、岡山県南部では防除作業が行われます。
すでに収穫を始めている地域もあるので、全国的に見ても時期は遅いだろうと思います。

岡山県南部は温暖で台風の少ない気候と、麦と稲の二毛作をしている関係で、稲作の作業ペースが全国的に見てもゆっくりになってしまうのです。私の家でも、かつてはビール麦を栽培していました。

余談はこのくらいにしておいて、この時期の防除作業はウンカやカメムシなどの害虫を防ぐためにも非常に重要です。

ウンカは稲の代表的な害虫の1つで、茎や葉にストロー状の口針を刺して中の汁を吸います。そして、稲を枯らしたり、病気を発生させたりします。数年前に大発生し、稲がサークル状に枯れているといった光景をよく目にしました。

カメムシは田んぼの中に卵を産み、卵から孵った幼虫が穂から汁を吸うことで斑点米の被害が発生します。斑点米とは、斑点のある米粒のことです。食味に影響はありませんが、見た目が悪いため、出荷時の等級が落ちてしまいます。その結果、農家にとっては米の売価が落ちるという被害が発生します。

他にも病害虫はありますが、代表的なのはこの2種類です。これらを防ぎ、実りある秋を迎えるために、青々と育った稲のある田んぼに入ります。

作業の手順は、まず写真のタンクに農薬を入れます。6種類の農薬を混ぜ、水で基準値になるように薄めて作ります。

オレンジのタンクに農薬を入れ、緑のホースを田んぼに伸ばして散布する。
農薬ができたら、田んぼに入ります。稲の間を歩き、タンクから伸ばしたホースを引っ張ります。そしてノズルを持った人が、稲に向かって農薬を散布します。

作業は気温の高くない朝と夕方に行うのと、力仕事でもないため、体力的に余裕があります。ラジコンヘリコプターやドローンを使って田んぼに入らずに散布できたらもっと楽なのでしょうが、わが家程度の田んぼの広さ(3ha)だと、このやり方でも十分です。

もちろん、ドローンには憧れますけどね。


今まで目を背けていた「農薬」

実は、私は農薬散布の作業をするのは今年が初めてです。

作業があることは知っていたものの、農薬に対してあまりいい印象を持っていたかったため、目を背けていました。

実際、消費者としての私は、「有機栽培」や「農薬不使用」と書かれた作物があれば、多少値段が高くても買っていました。学生時代に読んだ本や行ったセミナーで農薬について少し勉強し、そのリスクについて知っていたからです。

だから、自分の家で農薬を使っているなんて認めたくなかった。

いずれは農薬を使わずに米を作ろう。

数年前まで、そんなふうに思っていました。

しかし、大学院に進学して、そして就職して、農業にさらに関わるようになると、その考えも徐々に薄まってきます。

農薬を使わないのがいいことに変わりはない。でも、農薬を使っていても、日本の農家さんは基準値や使い方を守っているから、「国産」であれば安心できる。

こう考えるようになりました。

実際、慣行栽培で作られた米を26年間ほぼ毎日食べていますが、私の体に目立った健康被害があったことはありません。私の家族も同様です。

それに、広い田んぼを、農薬を使わずに管理するには限界があります。毎日田んぼに入って草や虫を取るなんて、今のライフスタイルでは到底できません。

まして兼業農家として他の仕事をしながら農業を営むなら、農薬は必要不可欠です。仮に農薬を使わなかったら、他の仕事や生活を犠牲にして、すべてを農業に費やす必要があります。

残念ながら、私はそこまでして農業をする気はありません。

また、学生時代にアルバイトに行った専業農家さんも、当然農薬を使っていました。

彼らは作物が収穫できないと生活が成り立たないわけですから、高い品質の作物をより多く収穫するために、農薬を使用します。そして、とてもおいしい作物を作られています。

だから私は、「どう育てたか」ということよりも、「誰が作ったか」が重要だと考えています。

顔が見える関係こそが、大切だと。

このように、かつては目を背けていた農薬も、農業へのかかわりが深くなればなるほど、受け入れられるようになりました。

作業は朝の涼しいうちに行う。実際にノズルを持って田んぼに入る。

農薬を生み出したのはだれか?

でも実際、農作業への関りが深くなっても、心のどこかで農薬に対する抵抗が残っていました。

農薬への抵抗を完全に払拭したのは、とある記事を読んで、「農薬を作り出したのはだれか?」という問いについて考える機会があったからです。

みなさんは、そもそもどうして農薬というものがこの世に存在するか、考えたことはありますか?

私は、農薬を作り出したのは私たち一人一人だと考えています。

農薬がなければ、農家は常に病虫害のリスクを心配しなくてはいけません。

たくさん種を撒いても、病気や害虫によって収穫できる量は農家によってバラバラに。そして、追い打ちをかけるかのような異常気象。

農家は非常に不安定な職業として話題になるでしょう。

対して私たち消費者は何を求めているでしょうか?

もっとたくさん食べたい。
おなかが空いたときはいつでも食べ物がある状態にしたい。
今日は和食。明日は中華。洋食も食べたい。

私たち消費者は、食べ物が欲しいときに、好きなものを好きなだけ食べられることを求めています。

消費者のニーズに応えるために、生産者は作らなければなりません。

たくさん欲しがるからたくさん作る。そのためには、まいた種をできるだけ多く収穫できるように育てる必要がある。

結果、病虫害が発生して収量が落ちると、消費者のニーズに応えられず、生産者自身も収入が得られない。

結局、私たち一人一人が便利な食生活を求めたから、農薬が誕生したのです。

食は生きていくために必要不可欠です。そんな食で不自由しない社会は素晴らしいです。

ですが、その素晴らしい社会は、農薬という科学技術によって支えられていることを忘れてはいけないのではないでしょうか。

農薬を作り出し使っているのは、紛れもなく私たちです。だから私は、農薬という存在を受け入れて、稲の生育をサポートするアイテムとして使っています。


農薬は基準値と使い方を守れば農家の味方になる

農薬について私の考えを述べましたが、将来的には農薬の使用を減らせればいいと思っています。

基準値と使い方を守れば安全ですが、自然のものではなく「化学物質」ですので、使わないに越したことはありません。しかし、現在では農薬を使わない、または使用量を減らすだけの技術も知識もありません。

そこは、今後農業を続ける中で前進していけたらいいと思っています。

日本の農家さんは、使用方法を守って農薬を使っています。それぞれの方法で、おいしい作物を作られています。私たちが望んだ社会のために、科学を味方につけて、農業に取り組んでいます。

そのことを、心に留めておいていただけるとうれしいです。

それにしても、久しぶりに入った田んぼは美しかった。

朝日を浴びて光る露。

見渡す限りのみどり。

小さくも力強く咲く稲の花。

ドローンやラジコンヘリコプターを使ったら、「この風景を見ながら作業することはできなくなるのかな」と、少し寂しくなりました。

田んぼの中からの風景。稲についた朝露が輝いて美しい。
【農家コラム】地域づくり×農業ライター 藤本一志の就農コラム
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WRITER LIST

  1. よないつかさ
    1994年生まれ、神奈川県横浜市出身。恵泉女学園大学では主に有機栽培について学び、生活園芸士の資格を持つ。農協に窓口担当として5年勤め、夫の転勤を機に退職。アメリカで第一子を出産し、子育てをしながらフリーライターとして活動。一番好きな野菜はトマト(アイコ)。
  2. syonaitaro
    1994年生まれ、山形県出身、東京農業大学卒業。大学卒業後は関東で数年間修業。現在はUターン就農。通常の栽培よりも農薬を減らして栽培する特別栽培に取り組み、圃場の生産管理を行っている。農業の魅力を伝えるべく、兼業ライターとしても活動中。
  3. 槇 紗加
    1998年生まれ。日本女子大卒。レモン農家になるため、大学卒業直前に小田原に移住し修行を始める。在学中は、食べチョクなど数社でマーケティングや営業を経験。その経験を活かして、農園のHPを作ったりオンライン販売を強化したりしています。将来は、レモンサワー農園を開きたい。
  4. 沖貴雄
    1991年広島県安芸太田町生まれ。広島県立農業技術大学校卒業後、県内外の農家にて研修を受ける。2014年に安芸太田町で就農し2018年から合同会社穴ファームOKIを経営。ほうれんそうを主軸にスイートコーン、白菜、キャベツを生産。記録を分析し効率の良い経営を模索中。食卓にわくわくを地域にウハウハを目指し明るい農園をつくりたい。
  5. 田牧一郎
    日本で15年間コメ作りに従事した後、アメリカに移り、精米事業、自分の名前をブランド化したコメを世界に販売。事業売却後、アメリカのコメ農家となる。同時に、種子会社・精米会社・流通業者に、生産・精米技術コンサルティングとして関わり、企業などの依頼で世界12カ国の良質米生産可能産地を訪問調査。現在は、「田牧ファームスジャパン」を設立し、直接播種やIoTを用いた稲作の実践や研究・開発を行っている。