とある20代の若者が就農に至るまで ~地域おこし協力隊として目指すブドウ農家~ 【藤本一志の就農コラム 第7回】

岡山県真庭市の兼業農家、藤本一志です。


前回の記事では、多様な関わり方があってこそ、農業は発展するという考察を書きました。

そこで、今回からは2回にわたって、農業への多様な関わり方の1つとして、「地域おこし協力隊」で農業に取り組む若者を紹介したいと思います。

お名前は、景山美香さん(24)。私の大学時代の後輩です。

今回景山さんを紹介しようと思ったのは、農家を目指すにあたって、「地域おこし協力隊になる」という選択肢もあるということをお伝えしたいからです。

また、私と同じように若くして農家を目指している人が何を考え、どのように生きているのかという、田舎で活動する若者のリアルも同時にお伝えできたらと思います。

今回のコラムでは彼女の協力隊になるまでの道のりを、そして次回のコラムで、現在の協力隊の活動と描く将来像について取り上げます。


地域おこし協力隊とは?


景山さんについてお話しする前に、「地域おこし協力隊」について説明していきます。

地域おこし協力隊とは、2009年に総務省が始めたもので、1~3年の決まった期間、都市部の人材が「協力隊員」として、人口減少や高齢化の進んだ地域に移住し、その自治体からの委託を受けて地域活性化のために活動し、最終的に定住を図る制度のことです。

活動の流れとしては、活動する地域の課題を発見し、周囲を巻き込みつつ自分のスキルや経験を生かして、課題解決に取り組みます。また、自治体によっては、「これをやってください」というように、あらかじめ具体的な活動内容が設定されている地域もあります。

主な活動としては、地域の名産品を生かした特産品開発、農林水産業への従事、飲食店や宿泊施設の管理・運営などが挙げられます。開始から10年が経過した今、日本全国にさまざまな協力隊員・元協力隊員がいます。

彼ら彼女らは、3年間それぞれの地域で活動した後、多くがその地域に定住し、それぞれの生業に取り組みながら暮らしています。


久米南町の協力隊、景山美香さん


今回取材した景山美香さんは、岡山県久米南町の地域おこし協力隊です。大学を卒業してすぐに協力隊となり、2020年で2年目となります。昨年結婚され、現在は久米南町に暮らしています。

景山さん夫妻は、将来的に夫婦そろってブドウ農家になるべく、地域おこし協力隊、ブドウ農家での研修に、それぞれの活動に励む毎日です。景山さんの協力隊活動の目標は、農業分野の交流人口を増やすこと。この辺りは、次回で詳しく書いていきます。

景山さんは大阪府交野市の出身で、大学で岡山にやってきました。大学時代は農学部に所属していましたが、農業に関する課外活動などはしていません。「農家になりたい」ということはよく言っていましたが、特に目立つ行動はとっていませんでした。農学部で学び、課外活動で交響楽団に所属する、ごく普通の大学生でした。

私は、「どうして景山さんは農家になりたいのか」と不思議に思っていました。本当に大学を卒業して農家になりたいなら、何か行動しているはずだと思ったからです。そのため、就職活動が現実味を帯びてくると、農家への道をあきらめるのではないかと心配していました。

しかし、就職活動が近づき、周囲が行政機関や一般企業への就職活動を行う中でも、彼女は変わらず、農家になる道を探っていました。周りに流されず、自分のやりたいことに向かって、ただただ純粋に、楽しそうに。

そんな彼女の姿が印象深く残っており、今回、取材させていただきました。


はじめは「褒められたい」という純粋な思い


6月下旬、今にも雨が降りそうな天気の中、私は久米南町を訪れました。

久しぶりに再会した彼女はすっかり日に焼け、すでに農家の雰囲気を身にまとっています。

岡山県久米南町地域おこし協力隊:景山美香さん
景山さんの実家は農家ではありません。自家菜園もなく、両親、祖父母共に「まったく農に触れたことがない」家系でした。

実家周辺は田んぼや畑、山のある、大阪といっても都会ではなく田舎の風景です。農業は身近にありましたが、景山さんの親戚に田んぼや畑をしている人はいません。そのため、親戚からお米や野菜をもらうといった経験もありませんでした。

そんな交野市で高校まで過ごしていました。

一見、農業とはあまり縁のないように見える環境の中で、なぜ農家になりたいと思ったのでしょうか?

原点は、小学生の時の社会の授業でした。

「これ、人に初めて言うんですけど、小学校の時の社会の授業で、『農家が減ってます』みたいな授業があって。その授業の時に、先生が『おうちで米農家をやっている人』と聞いて、まぁ、周りがチラホラ手を挙げて。次に、その人たちに『じゃあ実家を継ぎたい?』みたいな話をして、みんな『NO!』と答えたのがすごく印象的で・・・。こんな感じで、儲からないから高齢化が進んでいるんだよってことが印象に残って。」

普通ならば、「日本の農業って大変なんだ」と敬遠してしまうような場面です。しかし、ここで景山さんの持つおもしろい感性が本領を発揮します。

「その時の私は『人に褒められたい』って性格だったので、『じゃあ私が農家になればみんなに褒めてもらえるわ』みたいなのが、最初のきっかけですね。ちょっと変ですけど(笑)」

私は、農家になりたい理由がこれほどまでに純粋なことに驚きました。何か特別な体験をしたわけではなく、「褒められたい」という純粋な思いが彼女のきっかけになっていたのです。

小学校の卒業文集には「将来の夢は農家」と書き、中学・高校と進学する中でも、その夢は変わりませんでした。そして、周囲に堂々と「農家になりたい」と話していたようです。

「他のことを考えるのが面倒だったんです(笑)。会社員って道もあったんですけど、ずっと『農家になりたい、農家になりたい』って言ってましたね。」

そして彼女は、岡山大学の農学部に進学します。

「農家になるなら、農業大学校って専門性の高い道があるのも知っていたんですけど、普通の農学部でもいいのかなって。なんとなくレールがありそうなところで、農家になろうと思っていました。」

そして、大学進学のときに、高校の先生からある一言を言われます。

「大学に行けば、人脈が広がるから」

この「人脈」という言葉は、彼女が農家の道を歩む中でキーワードとなっていきます。


「このゼミなら、農家になれるかもしれない」


大学に進学後は、「中学・高校と続けてきたから」という理由で交響楽団に入部。

農業サークルも少し考えましたが、交響楽団で学生生活を過ごすことにしました。

「芯では農家なりたいとは言いつつも、ゆるゆると(笑)。どちらかというと、今を楽しみたいと思っていたので、部活しようと。農家になるのは、就職活動の時期になったら考えればいいかなって思ってました。」

これまでの話を聞く限り、「農家になりたい」とは言いつつも、農家からはかなり離れたところを歩いているように感じます。実際、農学部に進学した学生のほとんどは農家ではなく、公務員や一般企業に就職します。農業と関係のない企業に就職する学生も結構いるのが現状です。

私も、「景山さんも、結局普通に就職するのでは」と、心配に思っていました。

しかし、2年生の終わりに差し掛かったある日、彼女が夢に近づく出来事が起こります。

「ゼミを選ぶにあたって、ゼミ訪問をしていました。最初は果樹や野菜を研究するゼミを選ぼうと思っていたんですけど、教授の性格がおもしろそうなのと、研究の幅が広いから、農業経済系のゼミにも行ってみました。そこで、実際に農業法人に就職が決まっている先輩と出会って『この研究室だと農家への道があるぞ』と思って、農業経済系のゼミに決めました。」

農業法人に就職した先輩がいるなら、このゼミは私が農家になることを応援してくれる。

畑や田んぼといったフィールドに出て研究するラボ ではありませんでしたが、「そこでの出会いが軌道修正してくれました。になった」と、彼女は目を輝かせながら話してくれました。

こうして、彼女は農業経済系のゼミに所属することを決意します。


人とのつながりや運で生きている


農家になることを応援してくれるゼミだからといって、就職活動は自ら動かなければなりません。就職活動が始まると、景山さんは農業法人のインターンシップや合同説明会に出かけるようになりました。

インターンシップで実際に野菜の定植を体験すると、1日中腰を落として作業することが思っていた以上につらく感じました。それでも農家になりたい彼女は、品目を真剣に考え始めます。

そのうちに、元々は実家のある大阪で農業をするつもりでしたが、当時すでに現在のご主人とお付き合いしていたこともあり、岡山に残ってもいいなと考えるようになりました。

「それまで、農家といえば野菜というイメージでしたが、インターンシップでの経験から果樹にも目を向けるようになりました。それで岡山県といえばブドウの産地だから、ブドウを作りたいと思いました。偶然にもゼミの先輩がブドウ農家にアルバイトに行っていたので、私も付いて行きました」

そのアルバイト先は久米南町のブドウ農家でした。景山さんはそのブドウ農家に通いながら、農家になるためのさまざまなアドバイスを受けます。

そして、ちょうどその頃、ゼミの教授が調査のために、久米南町役場の方と話をする機会がありました。景山さんが農家になりたいことを知っていた教授は、すぐに久米南町役場の方に景山さんを紹介しました。そこではじめて、「地域おこし協力隊になりませんか? 」と声がかかったのです。

「農家になりたい」と言い続けていた彼女の純粋な思いが、実を結んだ瞬間でした。

「とてもタイミングがよかったです。私、人とのつながりや運で生きています(笑)」

現在は協力隊として3反の畑を管理。農作業もすっかりお手の物。

周囲の環境と彼女の思い


景山さんはほんわかした雰囲気を持ちながら、自分の大切にしたい芯の部分はしっかりと持った女性でした。農学部とはいえ、農業とはまったく関係のない分野に就職する人も大勢います。そんな中でも、彼女は周りに流されず、自分の思いを貫きました。

そして、彼女の周囲には、農家になることを「反対」する人は誰一人としていませんでした。

「『農家になりたい』と言って否定されたり、変に見られたりすることはありませんでした。だからこの道でもいいんだと思えました。周囲に農家がいなかったことが、逆に良かったのかもしれません」

何があってもぶれない彼女の思いと、彼女を応援する周囲の思いが重なって、彼女を農家という道に導いているのだと、取材の中で感じました。夢に向かって走り続けている彼女の眼は、キラキラと純粋な輝きを放っていました。


景山さんの取材はまだまだ続きます。

次回は、景山さんの農業に対する考えや、将来の農家像について紹介します。

【農家コラム】地域づくり×農業ライター 藤本一志の就農コラム
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  1. 田牧一郎
    田牧一郎
    日本で15年間コメ作りに従事した後、アメリカに移り、精米事業、自分の名前をブランド化したコメを世界に販売。事業売却後、アメリカのコメ農家となる。同時に、種子会社・精米会社・流通業者に、生産・精米技術コンサルティングとして関わり、企業などの依頼で世界12カ国の良質米生産可能産地を訪問調査。現在は、「田牧ファームスジャパン」を設立し、直接播種やIoTを用いた稲作の実践や研究・開発を行っている。
  2. 福田浩一
    福田浩一
    東京農業大学農学部卒。博士(農業経済学)。大学卒業後、全国農業改良普及支援協会に在籍し、普及情報ネットワークの設計・運営、月刊誌「技術と普及」の編集などを担当(元情報部長)。2011年に株式会社日本農業サポート研究所を創業し、海外のICT利用の実証試験や農産物輸出などに関わった。主にスマート農業の実証試験やコンサルなどに携わっている。 HP:http://www.ijas.co.jp/
  3. 石坂晃
    石坂晃
    1970年生まれ。千葉大学園芸学部卒業後、九州某県の農業職公務員として野菜に関する普及指導活動や果樹に関する品種開発に従事する一方で、韓国語を独学で習得する(韓国語能力試験6級取得)。2023年に独立し、日本進出を志向する韓国企業・団体のコンサル等を行う一方、自身も韓国農業資材を輸入するビジネスを準備中。HP:https://sinkankokunogyo.blog/
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    川島礼二郎
    1973年神奈川県生まれ。筑波大学第二学群農林学類卒業。フリーラインスの編集ライターとして、テクノロジーをキーワードに、農業雑誌・自動車雑誌などで執筆・編集活動中。
  5. 堀口泰子
    堀口泰子
    栄養士、食アスリートシニアインストラクター、健康・食育シニアマスター。フィットネスクラブ専属栄養士を経て独立。アスリートの食事指導や栄養サポートの他、離乳食から介護予防まで食を通じて様々な食育活動を行う。料理家としても活動し、レシピ提案、商品開発も担う。食事は楽しく、気負わず継続できる食生活を伝えることを信条とする。スポーツの現場ではジュニアの育成、競技に向き合うための心と体の成長に注力している。HP:https://eiyoushiyakko.jimdofree.com/
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