26歳の新規就農農家が目指す農家像【地域づくり×農業ライター 藤本一志の就農コラム 第1回】

はじめまして。藤本一志(ふじもとかずし)と申します。今年で26歳、社会人2年目です。

岡山県の真庭市で移住支援の仕事をしつつ、実家のある岡山市で農業に取り組んでいます。2拠点居住をしながら農業と地域づくりに取り組んでいます。

今回、「SMART AGRI」でのSNSのライター募集に応募し、私の農業や地域づくり活動への取り組み、そして私の目指す将来像について、コラムを執筆させていただくこととなりました。

1回目の今回は、私の経歴やこれまでの活動、そして将来目指している農家像について紹介させていただきます。



極限状態の祖父を見て決意した「就農」


私が農業に関わろうと思ったのは、高校時代のある出来事がきっかけです。

私の実家は、代々稲作を営んでいる兼業農家です。規模は大きくありませんが、幼い頃から農業のある光景は「当たり前のもの」でした。家の前には大きな田んぼがあり、田んぼの畔には野菜が植えられている。季節になるとお米や野菜が収穫され、食卓に並ぶ。そんな光景が“当たり前”の中で育ちました。

農業は祖父がメインで、父親が仕事の休みの日に手伝うという形で営んでいました。年に1度は家族総出で行う作業もあります。しかし、中・高校生時代の私は、友人と遊ぶことや学校の宿題を理由にあまり手伝いはしていませんでした。なぜなら、農業への関心がまったくなかったからです。

そして、高校3年生の6月。岡山県では田植えの準備で、農家が忙しくなる時期です。その日は部活がなく、高校から帰って勉強をしていました。しかし、夕食時になると少し様子がおかしくなります。

祖母が、「じいちゃんが作業から帰らない」と慌ててやってきました。「多分作業に夢中なんだろう」と、その時は軽い気持ちで考えていました。

祖母と作業場に迎えに行くと、祖父は機械のメンテナンスをしています。しかし、「ご飯だよ。帰ろう」と呼びかけても返事がありません。近くに行っても、声が届いていないようなのです。おそらく祖父の体は限界を超えており、意識がなくなっていました。しかし、作業をする手は動き続けていました。

最終的に祖母が祖父の手を掴んでも、祖父はまだ手を動かそうとしていました。

私は、この出来事が衝撃的で、その場からしばらく動くことができませんでした。当時の私にとって、農業と聞けば高齢化問題がまずイメージされました。しかし、「うちはじいちゃんがまだ元気だし、関係ない」。そう思っていたのです。

当時祖父は70歳。

「今、目の前で起こった出来事は、農業の高齢化という問題の一場面に過ぎない。けれど、もし今後も高齢化が続けば、今のような状況は当然のように起こり得る。そして農業をする人が減ると、近い将来、ご飯を食べられなくなるのではないか」

そんな不安が、痛烈に感じられました。

この出来事を機に、農業を手伝えるように地元の大学に進学することにしました。そして、大学ではとにかく農業に取り組もう、何か能動的な活動をしようと決心しました。


農業を通して模索した、自分だけの生き方


大学では、環境学を専攻しました。農業は課外活動で取り組んでいこうと思い、サークルを探していると、先輩から「地域づくりのボランティア」に誘われ、面白そうだから参加することにしました。

この時から、私は地域づくりの活動を通して農業に関わるようになりました。

地域づくり


私の6年間の学生生活のメインとなったのは、農業ではなく地域づくり活動です。

私が始めに活動した地域では、「過疎高齢化」が進んでいました。高齢化が課題としてあったことが農業と似ていたため、その地域での活動に熱中しました。農業以外にもさまざまなことが経験できて面白いと感じたことも、熱中した理由の1つです。

学生団体を立ち上げ、地域の方々と連携を取りながら活動しました。

活動では、「移住者を呼び込むこと」を目的に空き家の掃除をしたり、耕作放棄地を再生させて、そこで採れた作物を使ってカフェをしたり。3年間活動して団体としての基礎を作り、後輩に引き継ぎました。

その後、ご縁があって「真庭市」という岡山県北部の町で、地域づくり活動に関わることになりました。そこでは、「ゆーまにわ」という団体を設立し、大学のない真庭市に大学生を集めて、地域のイベントへの出店や体験型インターンシップの企画・運営等に取り組みました。

6年間の地域づくり活動を通して、さまざまな人に出会えたことが、今の私にとって非常に大きな財産となっています。

農業


一方で、農業は地域づくり活動を通した関わりが主でした。耕作放棄地の再生から作物(サツマイモ)の栽培、そして加工・販売と、活動の中で一連の流れを学ばせていただきました。

また、大学3年からは、アルバイトとして農業に取り組む機会が増えました。主にぶどうと桃の農家さんで、3年に渡って作業させていただきました。

もちろん、実家の稲作にも6年間取り組みました。

他にも、野菜農家さんや農家民宿などにも足を運び、学べることはすべて学んできました。

このように、浅く広くではありますが、さまざまな農業の形にふれる中で「自分に合った農業の形」を探すようになりました。専業としてやっていくのか、兼業としてやるのか、または自分で食べるものだけ栽培するのか、作業する中で考え続けていました。

生き方の模索


2つの活動の中で密かに取り組んでいたこと、それが「生き方の模索」です。地域づくり活動と農業の中でたくさんの人に出会いましたが、みなさんに共通していたのが、目が活き活きと輝いていたことです。

当時の私は「就職」というものにあまり良いイメージがなく、社会人は楽しくなさそうだと漠然と感じていました。しかし、楽しく生きている人にたくさん出会っていくことで、私も「自分の納得がいくことを仕事にして、楽しく生きたい」と思うようになりました。

大学4年生の時、自分の本当に好きなこと・やりたいことを見つけるために、大学院への進学を決意しました。そして、自分の生き方を探すために「真庭なりわい塾」の受講を決めました。

真庭なりわい塾とは、真庭市内の農山村をフィールドに、昔から紡いできた暮らしに触れながら、自分に合うライフスタイルを模索していく人材育成塾です。仕事ばかりで家族との時間がとれないことに悩んでいる人や、大量生産・大量消費社会に疑問を感じ、自らの手で生活を作りたいといった、自分の生き方を見直したいという人が多く受講されています。

2年間の塾のカリキュラムの中で、さまざまな人に出会って、自分の生き方を真剣に考えました。そして、塾が終わる頃には、社会人となってどのように生きていくかということが、はっきりと自分の中で決まりました。


現在の私と今後目指す生き方


大学院の修了後、1年間はサラリーマン生活を送りました。一度、社会を見ておきたいと思ったからです。

そして2020年2月に会社を辞め、現在は学生時代からご縁のあった真庭市で、移住支援の仕事に就いています。実家のある岡山市とは車で1時間半ほどの距離で、農業をしに行くにも問題ありません。

岡山市でそのままサラリーマンをしながら農業をしなかった理由は、地域づくり活動が好きで、仕事にしたいと思ったからです。学生時代を通して、私の好きなことは「農業・地域づくり・食」だと感じました。これらに関する仕事を始め、そして仕事を育てるために、会社を辞めて移住しました。

仕事が軌道に乗ったら、実家に戻って農業を営みながら、真庭市の地域づくり活動に関わろうと考えています。真庭市を拠点に地域づくり活動をメインとし、岡山市を拠点に農業をメインにしていくことが現在の目標です。

また、現在は第2種兼業農家ですが、いずれ第1種兼業農家になりたいと考えています。子どもの頃に「当たり前」だと思っていた、農業のある風景を繋ぐために。そして農業を生活の中心にして、地域づくり活動に取り組むために。

次回からは、私の考えや移住してからの暮らし、そして農業について書きたいと思います。よろしくお願いします。


ゆーまにわ | 「地方×ワカモノ」の可能性を広げる
https://youmaniwa.com/
真庭市交流定住センター
https://i-maniwa.com/area/koryu/
真庭なりわい塾 | 稼ぐための職業から生きるための生業へ
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【農家コラム】地域づくり×農業ライター 藤本一志の就農コラム
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WRITER LIST

  1. 堀口泰子
    栄養士、食アスリートシニアインストラクター、健康・食育シニアマスター。フィットネスクラブ専属栄養士を経て独立。アスリートの食事指導や栄養サポートの他、離乳食から介護予防まで食を通じて様々な食育活動を行う。料理家としても活動し、レシピ提案、商品開発も担う。食事は楽しく、気負わず継続できる食生活を伝えることを信条とする。スポーツの現場ではジュニアの育成、競技に向き合うための心と体の成長に注力している。HP:https://eiyoushiyakko.jimdofree.com/
  2. 大槻万須美
    管理栄養士・フードスタイリスト。楽しく食べて健康に。食の大切さを伝えるため、料理教室、バレエダンサーやアスリートのパーソナル栄養サポート、レシピ・コラムの提供など幅広く活動。子どもの頃の毎年の米作り経験から、身近な食体験の重要性についても実感し、おとなと子どもの食育サポートにも力を注いでいる。
  3. 田牧一郎
    たまきいちろう。68歳。日本で15年間コメ作りに従事した後、アメリカに移り、精米事業、自分の名前をブランド化したコメを世界に販売。事業売却後、アメリカのコメ農家となる。同時に、種子会社・精米会社・流通業者に、生産・精米技術コンサルティングとして関わり、企業などの依頼で世界12カ国の良質米生産可能産地を訪問調査。現在は、「田牧ファームスジャパン」を設立し、直接播種やIoTを用いた稲作の実践や研究・開発を行っている。
  4. 田中克樹
    たなかかつき。32年間の農業出版社勤務を経て、2020年末、故郷の八ヶ岳南麓に帰郷。仲間と共に農業・福祉系NPOを立ち上げ、遊休農地・耕作放棄地を再生し、心身の癒しや健康づくりにつながる有機無農薬の体験型農園づくりに取り組む。NPOでは田んぼ除草にホバークラフトを活用したスマート技術を開発中。農と風土(フード)を愛する人たち向けのブックカフェ・居酒屋を開くのが夢。
  5. 山田正美
    大阪工業大学大学院修了。福井県職員として、農業試験場研究員、専門技術員、農業技術経営課長、農林水産部技幹を経て退職。現在、日本生産者GAP協会常務理事、日本農業サポート研究所主席コンサルタント。
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