オリジナルブランド“田牧米”が世界のブランド米になるまで【田牧一郎の「世界と日本のコメ事情」 vol.4】

海外産コシヒカリの栽培に30年前から米国・カリフォルニア州で挑戦しながら、オリジナルブランドを開発し定着・普及させた株式会社田牧ファームスジャパンの代表取締役、田牧一郎さんによるコラム

第4回は、日本語と片言の英語でオリジナルブランド米「田牧米」(Tamaki Rice)を販売するまでの大変さ、どのように宣伝し販売・展開したかなど、その苦労をうかがいます。

日本でコメ作りをしていた青年が、カリフォルニアでおいしいコメを作り、日本の精米機械を使って日本の技術で精米した「おいしいごはん」はどのようにして売れたのでしょうか?


精米会社を起業し、オリジナルブランド「田牧米」を世界に流通させるまで


前回の籾で流通させるアメリカのコメ流通事情で書きましたが、カリフォルニア州でのコメ流通は、精米会社が中心に動いています。生産者の作付け品種と面積、そして籾の販売先は籾の買い手である精米会社の提示する価格次第で決まるので、生産者の稲作経営計画は、精米会社の販売計画に影響されます。

整地後の水田の様子

カリフォルニア州で10番目の精米会社として参入し、事業を展開


1989年のカリフォルニア州内の精米会社は、2つの大型農協組織と大小7社の民間精米会社、合計9社がありました。その中に、コメ作りと白米製品を作って販売しようと私が中心となって設立した、最も規模の小さい精米会社が10番目として参入しました。

そして、私の名字である「田牧」をブランド名にすることで、事業を始めました。コメの販売はアメリカ国内を中心に、輸出は国内での製品の評価が定まってから行うことを考えていました。

当時の「田牧米」のパッケージ

田牧米には、カリフォルニア州内で栽培されている一般的な中粒種品種の中で、粘りがあり、味のいい「ごはん」になる品種が必要でした。事前に品種ごとの精米テストや、スーパーで販売されている白米商品の炊飯試験も繰り返し行い、製品作りに使う品種を決めました。

その品種はイネの背が高く倒れやすい晩生種で栽培しにくかったのですが、当時カリフォルニア州での作付面積約10%(約2万ha)に作付されていました。生産者との籾の売買契約は、一般の高反収中粒品種と比較すると高い単価で購入せざるを得ず、原料価格が高いので自社商品の販売価格も高く設定しないと採算が取れないこともよく分かりました。


主婦やスーパーのオーナーにマーケットリサーチする日々


自ら試食を繰り返し、知り合いの主婦の方々などにも試食をしてもらい「いつも食べている商品との違い」を感じるか、購入する時の価格について「いつも購入しているコメより高くても購入しようと思うか」など、商品購入を決める時の条件について聞かせてもらいました。また、スーパーのオーナーやコメ担当者、レストランのシェフにも食味についての感想や他のブランド米との比較などを聞いて回りました。

製品の味や品質には自信を持っていましたが、原料籾価格が高いことから、競合他社の商品より高く売らなければいけない製品をどうすれば販売できるかを第一に考えました。資金も乏しい状況で、間違いの許されない判断を常に下さなければならない、後のない一回だけのトライでした。

これを成功させなければアメリカでのコメ作りが終わってしまいます。準備をしながら「他社製品との決定的な違いを強調すること」で商品を紹介し、販売を開始することにしました。


全米のスーパーや小売店で「炊飯米試食販売」を開始


自社商品の販売では「試食販売」がもっとも有効な手段になると考えました。

田牧米のターゲットは「日本からアメリカに来ている日本人」「現地に長く暮らす日系人の方々」「日本食レストランやコメ流通に関係している方々」で、ご飯を日常的に食べている人。このような方々に顧客になってもらうことを第一に考え、商品を扱う各地の食品卸売り業者の協力も得て、ターゲットとしている消費者が多いスーパーや小売店での炊飯米試食販売を開始することにしました。

さらに、販売時に配る製品紹介のチラシや、店やレストランに張ってもらう宣伝ポスターも作りました。

「日本でコメ作りをしていた青年が、カリフォルニアでおいしいコメを作り、日本の精米機械を使って日本の技術で精米した、「おいしいごはん」になるおコメを作りました。」

このフレーズが商品を説明するすべてでした。ローカルの日本語フリーペーパーに記事や広告を掲載してもらったり、スーパーのチラシにも商品の宣伝に上記の文章を入れてもらったりして、大都市圏での集中的な宣伝広告をしました。

炊飯試食会を担当してもらう方々には、商品の炊飯方法や試食への促し方、商品説明について事前にレクチャーを行って試食販売を始めました。もちろん渡米して日が浅く、日本語と片言の英語しか話せない私自身も週末にはカリフォルニア州内のサンフランシスコエリアの取扱店をはじめ、ロサンゼルスエリアの大型スーパー、さらに東部のニューヨークやボストンなど、アメリカ主要都市のスーパーや小売店に足を運び、商品の説明、お客さんからの質問に答えながら試食をすすめ、購入をお願いしました。

販売価格が平均より高い商品でしたが、メーカーである私と卸売業者、そして小売業者の方々にも最大限の協力をしていただいて、スタート時の一定量については店頭価格を通常販売価格の半分程度に設定。アメリカの消費者は、コメについても新しいブランドが発売されると「まず試してみる」というありがたい行動をとる方が多く、結果として非常にたくさんの方々に購入していただくことができました。

その後も定期的に各地を訪問し、昼はスーパーでの試食会、夜はレストランでシェフの感想や要望を聞かせてもらいながら営業させていただきました。


スーパーのコメ売り場の様子。どのコメも山積みで販売されている

ターゲットを絞ったブランド浸透作戦


全米主要都市での試食会やフリーペーパーでの広告と宣伝、私のアメリカ挑戦記事が掲載された日本の雑誌や新聞も使って、商品の宣伝広告をしました。スーパー独自のチラシにも「目玉のお買い得商品」として載せてもらえるようになり、おいしいコメとして市場に定着しつつある手ごたえを感じることができました。

販売量も順調に伸びて行きました。スーパーでお米を購入しようとしている消費者の皆さんには、「おいしさと新しさ」を強調したことがいいインパクトになったと思います。同時にアメリカでは“おいしいコメ”が絶対的に不足していたとも言えます。

しかし、アメリカの消費者は厳しく商品を評価します。コメに限らずすべての商品に同じことが言えると思います。どんなにいい説明でも、価格が安くても実際に食べて、あるいは使って気に入らないと購入してもらえません。

アメリカで販売する新商品は、おいしいコメの品種を使い、精米方法を工夫して、白米にしておいしく炊飯して試食してもらうことが売上の増加につながると確信していました。私にとって幸いだったのは、店頭で販売されていた他社のブランド米と比較をすれば、明確に違いが分かったことでした。そして、機会があるごとに商品の違いを強調する販売戦略は成功しました。


輸出マーケットに展開し「世界のブランド米」へ


アメリカ国内市場でのスタートダッシュの成功で、海外市場にも製品を紹介することができました。大手の商社から海外の市場に紹介したいという商談をもらい、ブラジルに輸出を始めたのです。

現地の食品販売会社にディストリビューター(販売会社に商品を購入してもらい、それを販売してもらう方法)として商品を輸入してもらい、ブラジルの主要都市のほとんどに販売と配送をしてもらいました。

ブラジルのコメ市場は大きく、カリフォルニア産のコメもすでに輸入されていましたが、「田牧米」がアメリカでの高い評価を受け、商品の売れ行きもいいことから、短期間で販売量を増やしてもらいました。私も毎年、販売拡大のため現地の主要な取引先であるスーパーやレストランへ訪問し、販売促進活動をしました。

アジアでも香港やシンガポールと輸出先を増やし、製品の品質と味で期待通りの評価を得ることができ、輸出量の拡大ができました。さらにカナダ、メキシコ、さらにヨーロッパや中東へも販路が広がり、各国ごとに輸入のための袋の表示や要求される各種証明書など、貿易実務を学ばせてもらいながら継続してきました。

自社のブランド米が世界の市場で高い評価を得て、多くの人々に食べてもらっていることの喜びと同時に、製品の品質や味の維持、なおいっそう良くしていくための努力を継続しなければならないという大きな責任も強く感じるようになりました。

1990年から本格的に販売を開始した自社ブランドの「田牧米」は、30年後の今も世界の主要都市で販売されています。販売量の多少にかかわらず、コメでも「世界ブランド」を作ることができるという証明ができました。

(つづく)
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WRITER LIST

  1. 田牧一郎
    たまきいちろう。68歳。日本で15年間コメ作りに従事した後、アメリカに移り、精米事業、自分の名前をブランド化したコメを世界に販売。事業売却後、アメリカのコメ農家となる。同時に、種子会社・精米会社・流通業者に、生産・精米技術コンサルティングとして関わり、企業などの依頼で世界12カ国の良質米生産可能産地を訪問調査。現在は、「田牧ファームスジャパン」を設立し、直接播種やIoTを用いた稲作の実践や研究・開発を行っている。
  2. 山田正美
    大阪工業大学大学院修了。福井県職員として、農業試験場研究員、専門技術員、農業技術経営課長、農林水産部技幹を経て退職。現在、日本生産者GAP協会常務理事、日本農業サポート研究所主席コンサルタント。
  3. 福田浩一
    ふくだこういち。東京農業大学農学部卒。博士(農業経済学)。大学卒業後、全国農業改良普及支援協会に在籍し、普及情報ネットワークの設計・運営、月刊誌「技術と普及」の編集などを担当(元情報部長)。2011年に株式会社日本農業サポート研究所を創業し、海外のICT利用の実証試験や農産物輸出などに関わった。現在は主にスマート農業の実証試験やコンサルなどに携わっている。http://www.ijas.co.jp/
  4. 中村圭佑
    なかむらけいすけ。明治大学農学部卒業後、日本農薬株式会社に約7年勤務。その後、大手経営コンサルティング会社を経て、FOOD BOX株式会社を2019年7月に起業。Facebook:https://www.facebook.com/foodboxjp/、Instagram:https://www.instagram.com/foodbox_jp/
  5. 百花繚乱
    趣味は料理、漫画、読書のミドルの男です。商社勤務で全国や海外を転々しているうちに、故郷に哀愁を覚え、約10年前に地元の農業関連会社にとらばーゆ。