カリフォルニアのコメビジネスの基礎を作ったのは、若い大規模生産者だった【田牧一郎の「世界と日本のコメ事情」vol.10】

海外産コシヒカリの栽培に30年前から米国・カリフォルニア州で挑戦しながら、オリジナルブランドを開発し定着・普及させた株式会社田牧ファームスジャパンの代表取締役、田牧一郎さんによるコラム

今回は、アメリカのコメ業界がどのように発展してきたか、日本米の栽培・生産に取り組んだ若者はどんな人たちだったのかが語られています。日本は若者の農業離れが問題になっていますが、アメリカではビジネスとして若者が積極的に農業に参画しています。若者がもっと農業に興味を持ち、農業初心者でもコメ作りにトライするためにはどんなことが必要なのか、アメリカの農業政策と田牧さんの取り組みをもとに考えてみましょう。


新しいことが好きなカリフォルニアの大規模生産者


カリフォルニアでの育種試験場の様子。かなり広い敷地でさまざまな苗が育てられています。この育種試験場の詳細情報はウエブサイト https://www.crrf.org/ で

カリフォルニアでも新しい品種の栽培に取り組み、種まき機の導入などを試していますが、そのほとんどが大規模コメ経営者で、経営に余裕のある若い生産者でした。

1990年代初期に「あきたこまち」の栽培と商品の生産に取り組んだグループのリーダーは、約100年前にカリフォルニアの商業的コメ生産が始まった地域で、先祖代々コメを生産してきた大規模生産者でした。「コシヒカリ」の試作を行ったのも、田牧米中粒種の大型乾燥施設を持ち、大面積のコメ生産農場を保有する生産者でした。

また、1990年代後期に「コシヒカリ」の乾田直播栽培に穀物の精密播種機を導入し、スポット播種を始めたのは、コメ・麦・紅花・豆類など大規模農場を経営している30代の生産者でした。ある日、彼が大きなトラクターやコンバインが並んでいる機械置場に、小学校に入学したばかりの長男を連れて来たことがありました。私が「大きくなったら何になりたいの?」と聞くと、迷うことなく大きな声で「I wanna be a farmer.」(農家になりたい)と答えてくれました。

当然と言えば当然の答えで、彼の父親は親の代からの大農場を引き継ぎ、作物の栽培法の勉強や利益の出そうな作物の生産にトライしている意欲ある農場経営者です。一緒にいた我々は顔を見合わせ、その答えに「Good choice.」と話して納得しました。

次の時代に役立つ新しい品種の栽培や、その栽培技術の開発に取り組んでいたのは、決まって好奇心が旺盛で失敗を恐れない研究熱心な生産者たちです。彼らの試行錯誤によってカリフォルニアの良質短粒種を使った、ブランド米生産の基礎ができたと思います。

そして、彼らの試した新しい生産技術と、商品原料として精米工場に収穫した籾を供給する「ポストハーベストシステム」によって、現在、世界で販売されているカリフォルニア産米の生産が維持されているとも言えます。


若者が後を継ぐ理由は「儲かるから」


こちらもカリフォルニアでの育種試験場の様子。稲穂、葉や茎が品種によって違うことがよくわかります

若手の大規模コメ生産者たちは、興味のあることに関する情報を収集し、その知識がある人物には直接質問し、さらに試行錯誤を繰り返して、納得できる結果が出るまでこの作業を続けます。

そんな彼らにとって当時の私は、日本品種の栽培と商品化についてなど彼らが必要としていた情報に最も近く、最も多くの情報を持っていた人物だったのです。

そのご縁から、日本のコメ農業とは比較できないほどの彼らの桁外れな大規模経営に参加。私の興味も満足させてくれる試験などにはアドバイスを取り入れてもらい、一緒に仕事をしました。

その話し合いの中で、当時カリフォルニアにはなかった「日本品種米専用の乾燥と保管施設」を保有することにもなりました。そこで、大企業が所有していた築50年を超えた籾の乾燥・保管施設を複数の生産者と共同で購入。一般的なカリフォルニアの籾乾燥所ではできない(しない)オペレーションで、日本米の品質の良い籾を乾燥・保管し、生産者と精米業者が相互に利益を生む拠点にするべく運転を始めました(日本の品種が世界で作れないわけ その3 参照)。

「新しい荷受け基準の設定」「高品質を維持するための乾燥技術の確立」「保管対策の設定」など、それまでになかった事を考えて実行。苦労も失敗もありましたが、非常に楽しく仕事ができた時期でした。先の記事(日本の品種が世界で作れないわけ その2 参照)で紹介した、アーカンソー州のクリス・イザベルさんも新しいコメブランドの開拓者の一人です。

こうした若いコメ生産者のグループとは、コメ栽培の技術指導や乾燥所の運営で一緒に仕事をしていました。日本のSBS方式(下図参照)で、本格的にカリフォルニアのコメを輸出していた時期でもあり、日本向けに「コシヒカリ」や「あきたこまち」の作付けが増加していた時期でした。

玄米や白米を作って日本に輸出を行っている精米工場に対し、契約栽培によって“原料もみ”を生産し、販売しようと考えていました。私も彼らに日本のユーザーや輸入を担当している日本の商社を紹介し、相互に利益を出せる仕組みができないかなど、活発に動いていた時期でもありました。


出典:農林水産省「 SBS方式について」

これまで紹介してきたカリフォルニアの若いコメ生産者たちのほとんどは、親がコメ作りをしている農業者です。しかし、昔ながらの日本のコメ農家の長男のように後継ぎとしての農業をしているのではなく、高校卒業後、地元のカレッジや4年生の大学に進学。職業の選択肢が多くある中で家族経営のコメ作りに参加し、トラクターに乗り、田んぼの見回りをしながら仕事を覚え、だんだんに経営の中心になってきている青年たちが多くいました。

そんな彼らに「なぜコメ作りを選んだのか?」と聞くと、「儲かるから」との答えが多かったのを覚えています。


若者の参加を促しやすいアメリカの農業政策


若手が農業に携わりやすいのは、アメリカ連邦政府の農業政策は、コメ作りも含め、生産者に対して直接補助金を支給する制度のおかげでもあります。若い農業者も一つの農業経営体として会社を設立し、「農業をする法人」あるいは「個人経営農場」として農地の所有者から水田を借りてコメ作りを開始することができます。

その際、農地の所有や貸借には国や自治体の許可等がいりません。所有者と買い手、借り手との間で売買契約あるいは貸借契約が成立すれば、「所有権」もしくは「耕作する権利」が移ります。アメリカで若いコメ作り農業者が多いのは、この政策で農地を借り受けできるからです。

ただし、この連邦政府の補助金システムには、農場の生産規模の上限がありました。

「経営体の生産規模の上限」「支給される補助金額の上限」、補助金の支給額単価は「耕作しようとする農地」の面積を基本として、その農地の過去の作物の反収の記録から、反収×作物ごとの補助金支給単価×農地面積(その年に作付けしようとしている面積)で、補助金の総額が決まります。そしてこの総額は1経営体あたり4万ドル(約430万円。年によって異なる)の上限が決められています。

農地をたくさん所有している地主たちは、大きな面積を経営して補助金の計算結果が100万ドルになったとしても、1経営体の受けとり額の上限である4万ドルを超えた分は受給できないわけです。

そのため、農地の耕作者として奥さんや子どもたちの名義を使って経営体を増やし、家族のそれぞれが受給上限の4万ドルをもらえるようにして申請をします。家族だけでは足りない時には、若い農地を持たない青年たちにも農業開始のチャンスが出てきます。

この補助金制度の効果もあって、若手であっても大地主から土地を借りて農業経営を始めることができるのです。

田牧さんのカリフォルニアご自宅周辺の水田で行っていた独自の栽培試験風景

若者のトライを奨励してきたアメリカのコメ市場


ただ、土地を借りれば地代が発生します。結局、この補助金は農地の地代としてほとんどの額を地主に支払うことになります。さらに農機具類をリースしたりレンタルしたり、あるいは購入して作業を行い、種子や肥料を購入して作物を栽培し、収穫したものを販売して利益を追求しなければなりません。

漫然と土地を借りて使うだけでは、経営は成り立ちません。利益の出せる作物を探し、栽培方法を学び、有利な販売先を探す。農業経営の基本を忠実に実行することで初めて、経営が維持できるようになるのです。

若い農業経営者がコメ業界の牽引者として、新品種の栽培や栽培方法の改善によって高反収を目指し、生産コストを下げる対策を試すなど、さまざまなことに果敢にトライするのは、このような事情もあります。

しかしその取り組みの結果として、業界全体の利益になるような新品種の生産が増えたり、コメで言えば「世界の日本食レストランなどに供給されるカリフォルニア産の短粒種および中粒種」という新しい市場が開拓されたりします。

アメリカ東部から西海岸に移住した開拓者が、カリフォルニアでコマーシャルベースのコメ作りを始めてから100年、カリフォルニアに本格的なコメの育種試験場が開設されて70年です。そこから数々の新品種が開発され、今の中粒種品種につながっています。

これらの品種を使った生産にトライし、失敗を繰り返して歩んできた歴史が、今日のカリフォルニアのコメ業界を作ってきました。そして、これらをけん引してきたのはコメ作りを生産現場で担ってきた青年たちの意欲であり、努力の継続だと思います。


日本で若い農業者が生産・経営できる環境は整えられるか


日本では、一部の地主が所有していた農地を借地にして、耕作に携わっていた生産者に安価に所有させた戦後の「農地改革」制度で、農地の所有形態の解体を行いました。そのため、小規模地主が急激に増加し、現代の機械力による作業の効率化と、スケールメリットを発揮するような生産スタイルに変革できないままになってしまいました。

大変残念なことですが、その結果として大きな問題として顕在化した「若い農業者不足による経営の中断」や「農地の集積ができない耕作放棄地の増加」につながってしまったのではないでしょうか。

若い農業者が創意工夫をしながら、生産と経営にあたるコメ作りの姿が、本来の成長する産業だと思います。


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WRITER LIST

  1. 田牧一郎
    たまきいちろう。68歳。日本で15年間コメ作りに従事した後、アメリカに移り、精米事業、自分の名前をブランド化したコメを世界に販売。事業売却後、アメリカのコメ農家となる。同時に、種子会社・精米会社・流通業者に、生産・精米技術コンサルティングとして関わり、企業などの依頼で世界12カ国の良質米生産可能産地を訪問調査。現在は、「田牧ファームスジャパン」を設立し、直接播種やIoTを用いた稲作の実践や研究・開発を行っている。
  2. 田中克樹
    たなかかつき。32年間の農業出版社勤務を経て、2020年末、故郷の八ヶ岳南麓に帰郷。仲間と共に農業・福祉系NPOを立ち上げ、遊休農地・耕作放棄地を再生し、心身の癒しや健康づくりにつながる有機無農薬の体験型農園づくりに取り組む。NPOでは田んぼ除草にホバークラフトを活用したスマート技術を開発中。農と風土(フード)を愛する人たち向けのブックカフェ・居酒屋を開くのが夢。
  3. 山田正美
    大阪工業大学大学院修了。福井県職員として、農業試験場研究員、専門技術員、農業技術経営課長、農林水産部技幹を経て退職。現在、日本生産者GAP協会常務理事、日本農業サポート研究所主席コンサルタント。
  4. 福田浩一
    ふくだこういち。東京農業大学農学部卒。博士(農業経済学)。大学卒業後、全国農業改良普及支援協会に在籍し、普及情報ネットワークの設計・運営、月刊誌「技術と普及」の編集などを担当(元情報部長)。2011年に株式会社日本農業サポート研究所を創業し、海外のICT利用の実証試験や農産物輸出などに関わった。現在は主にスマート農業の実証試験やコンサルなどに携わっている。http://www.ijas.co.jp/
  5. 中村圭佑
    なかむらけいすけ。明治大学農学部卒業後、日本農薬株式会社に約7年勤務。その後、大手経営コンサルティング会社を経て、FOOD BOX株式会社を2019年7月に起業。Facebook:https://www.facebook.com/foodboxjp/、Instagram:https://www.instagram.com/foodbox_jp/
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