優れた農業経営者は産地に何をもたらすのか〜キュウリで反収44tを達成した佐賀の脱サラ農家(前編)

一人の優れた農業経営者の登場は産地にどんな影響をもたらすのか──。

佐賀県のJA伊万里きゅうり部会は落ち込んでいた売上げが最盛期近くまで戻りつつある。当時よりも部会員数は2割程度減ったものの、若手を中心に環境制御技術が普及し、栽培面積と反収が急激に上がってきたためだ。

中山道徳さん(右)とJA伊万里の松尾高広さん
火を付けたのは、10年前に脱サラしてキュウリの栽培を始めた中山道徳さん(33)。前編では、就農から養液土耕栽培で10a当たり44tの収量を達成するまでの経緯をたどる。


部会員減も売上げ増

JA伊万里きゅうり部会では、平成のはじめに6億円まで落ち込んだ売上が2019年産では6億3000万円にまで回復している。さらに向こう1、2年のうちに最盛期だった6億7000万円に達する見込みだ。

部会員は当時より2割ほど減っている。それでも売上が右肩上がりなのは、環境制御技術によって反収が急増していることが理由の一つに挙げられる。

増収の理由についてはおいおい触れるとして、まずは産地を活気づけた中山さんが就農するに至った経緯を紹介したい。


自動車整備士からキュウリ農家に転身

中山さんが計44aのハウスでキュウリを作っているのは出身地の伊万里市大川町。佐賀県で初めて梨の栽培が始まった場所として知られる。

中山さんの実家もまた、梨農家だ。家業は長男が継ぐことになっていたことから、次男の中山さんは地元の高校を卒業後に愛知県の自動車整備士学校に入学。卒業後はトヨタ系列の自動車整備会社に勤めた。

兄が家業を継ぐと、父はもともと野菜に関心があったことからキュウリを作り始めた。これには経営計画を立てやすくしたいという思いも込めていた。梨は収穫が年に1回だけ。一方、キュウリはほぼ周年で取れる。

中山さんが社会に出て2年後、父が病気の手術で入院することになった。看病に訪れると、実家に戻ってキュウリづくりをすることを勧められた。

「別に会社を辞める必要はなかったんやろうけど、面白そうだったし、なんとなく農家に憧れたところもあったけんね」。

こうして10年前、脱サラしてキュウリづくりの道に入った。


1年目から30tを達成

周囲が驚いたのは、軒高2.4mのハウスで1年目から10a当たりの収量が30tを達成したためである。

JA伊万里のきゅうり部会では当時の平均収量は18tだったという。中山さんは「自分は若かったけん、先輩に教わった基本技術をしっかりやったのが収量に結びついたと思う」と振り返る。

脱サラ1年目でこれだけの成果を上げたことは周りの農家に刺激を与えた。

キュウリは儲かる──。そんな噂が広まり、JA伊万里きゅうり部会では従来の会員がとどまり、あるいは新たに入会するようになった。一時は60人にまで減っていた部会員数は今では66人にまで回復している。



概して儲けたいと考えるのは若手だ。このためJA伊万里きゅうり部会でも若返りが進んだ。

同部会は全国のJAの生産部会では珍しく、若手だけの集まり「胡青(きゅうせい)会」を設けている。

会員は主に50歳以下の農家。本部会と比べて、より先進的な技術を学ぶための情報交換会や視察会などを開いている。これは、若手のやる気に応えるためだ。胡青会の会員数は23人。つまりJA伊万里きゅうり部会の3割以上は若手ということである。


データによる「見える化」

こうした機運が生まれてきた中、中山さんは個人の経営としても産地としてもさらなる増収を図るため、2014年産から環境制御技術を試験的に取り入れていった。噴霧器や二酸化炭素の発生装置を導入したり、かん水を散水から点滴にしたりといったことだ。

後編で詳しく述べるように、一貫してデータによる「見える化」を重視してきた。

ハウスの環境をデータで「見える化」している
試験の成果情報は閉ざすことなく披露した。

中山さんは「うちの部会のいいところは、情報はすべて共有するところ。僕も最初は先輩からそうやって教わってきました。だから初心者でもすぐに優れた技術を身に着けて、収量を上げられる」と話す。

取材の現場に立ち会ってくれたJA伊万里果樹園芸課の松尾高広さんは「だから土耕でも1年目に30t、2年目に40tを取る人も出ています」と畳みかけた。


天敵昆虫の定着に欠かせない花粉資材と産地全体での雑草対策

高収量には天敵昆虫も貢献している。定植して1、2週間すると、害虫のコナジラミやスリップス、チャノホコリダニなどを退治するスワルスキーカブリダニ(以下、カブリダニ)を放飼する。そして防除効果を高めるために、次の二つのことを必ず行っている。

一つはカブリダニの餌となる市販の資材である花粉をまくこと。定植後はキュウリが花を付けているわけではない。つまり園内に餌がないままだと、カブリダニが繁殖しないのだ。

もう一つは施設周辺の雑草対策。JA伊万里の松尾さんは「害虫は雑草地を経由して、施設に忍び込む」という。だから周囲の畦畔でする防草シートを張るか頻繁に草刈りをする。

松尾さんは、雑草対策を確実に防除へとつなげるうえで重要なのは、産地全体で取り組めるかどうかだと語る。

「個々に雑草対策してもあまり意味がない。害虫は雑草のあるところで繁殖して、いずれ対策をした施設にも侵入してきます」

中山さんのハウス
佐賀県内では2019年産で、害虫による被害が多発した。一方、JA伊万里管内では「ほとんど被害がなかった」と松尾さん。その理由について「産地全体で雑草対策ができ、天敵昆虫を生かしきれたから」と説明する。

産地全体でいっせいの行動をとれるのは、きゅうり部会が統率されているからに違いない。その原動力は個々の経営に加えて産地を発展させるという志である。

「共選共販で市場出荷する我々にとって出荷量を確保することは非常に大事。人口減少することが目に見えている中、個々の経営で規模の拡大や増収を図ることが求められていますね」

こうした考えから中山さんは土耕を止めて、固形培地による養液栽培を始める。収量は順調に伸びてきたのに、なぜ栽培法を変えたのか。次回紹介したい。


キュウリ | おいしいよ! 農畜産物|JA伊万里
https://jaimari.saga-ja.jp/products/cucumber.html


【事例紹介】スマート農業の実践事例
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  1. 田牧一郎
    田牧一郎
    日本で15年間コメ作りに従事した後、アメリカに移り、精米事業、自分の名前をブランド化したコメを世界に販売。事業売却後、アメリカのコメ農家となる。同時に、種子会社・精米会社・流通業者に、生産・精米技術コンサルティングとして関わり、企業などの依頼で世界12カ国の良質米生産可能産地を訪問調査。現在は、「田牧ファームスジャパン」を設立し、直接播種やIoTを用いた稲作の実践や研究・開発を行っている。
  2. 福田浩一
    福田浩一
    東京農業大学農学部卒。博士(農業経済学)。大学卒業後、全国農業改良普及支援協会に在籍し、普及情報ネットワークの設計・運営、月刊誌「技術と普及」の編集などを担当(元情報部長)。2011年に株式会社日本農業サポート研究所を創業し、海外のICT利用の実証試験や農産物輸出などに関わった。主にスマート農業の実証試験やコンサルなどに携わっている。 HP:http://www.ijas.co.jp/
  3. 石坂晃
    石坂晃
    1970年生まれ。千葉大学園芸学部卒業後、福岡県の農業職公務員として野菜に関する普及指導活動や果樹に関する品種開発に従事する一方、韓国語を独学で習得(韓国語能力試験6級)。退職後、2024年3月に玄海農財通商合同会社を設立し代表に就任、日本進出を志向する韓国企業・団体のコンサルティングや韓国農業資材の輸入販売を行っている。会社HP:https://genkai-nozai.com/home/個人のブログ:https://sinkankokunogyo.blog/
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    川島礼二郎
    1973年神奈川県生まれ。筑波大学第二学群農林学類卒業。フリーラインスの編集ライターとして、テクノロジーをキーワードに、農業雑誌・自動車雑誌などで執筆・編集活動中。
  5. 堀口泰子
    堀口泰子
    栄養士、食アスリートシニアインストラクター、健康・食育シニアマスター。フィットネスクラブ専属栄養士を経て独立。アスリートの食事指導や栄養サポートの他、離乳食から介護予防まで食を通じて様々な食育活動を行う。料理家としても活動し、レシピ提案、商品開発も担う。食事は楽しく、気負わず継続できる食生活を伝えることを信条とする。スポーツの現場ではジュニアの育成、競技に向き合うための心と体の成長に注力している。HP:https://eiyoushiyakko.jimdofree.com/
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